家族法Q&A

憲法

人身の自由と刑事手続上の諸権利、参政権、社会権

第10章 人身の自由と刑事手続上の諸権利

Ⅰ 奴隷的拘束及び苦役からの自由(18条)

① 奴隷的拘束を受けないこと

② 刑罰の場合を除き,意に反する苦役を課されない

* 奴隷的拘束とは,個人の尊厳とは相容れない非人間的な態様の拘束のことをいう

* 意に反する苦役とは,本人の意思に反するもののうち,一般人が苦役と判断するであろう労務のことをいう(主観的な基準により決まるのではない)

* 徴兵制は,諸外国の憲法では市民的義務と解されており,一般に苦役とは解されていないが,日本国憲法は,明治憲法と異なり兵役の義務を規定しておらず,しかも,平和主義・戦争放棄の規定を置いていることから考えると,苦役に該当すると解する

Ⅱ 適正手続の保障(31条)

1 罪刑法定主義は31条で保障されているか

∴ 保障されている

∵ 31条の手続とは,広い意味として「方法」というようにとらえるべきである

2 行政手続にも31条は適用されるか

∴ 否定すべき

∵ 適正な行政手続は憲法13条を根拠に構成すべき

 

 

Ⅲ 刑事手続上の諸権利

1 裁判を受ける権利

(1) 裁判員制度は憲法32条の「裁判所」による裁判に反しないか

(ア) 一般論

憲法32条の「裁判所」とは,憲法76条以下の裁判所が想定されるから,原則として身分を保障された裁判官による裁判が予定されている。また,32条の趣旨は,政治的圧力や一時的激情に左右されない「裁判所」に判断してもらうことが重要である。そうすると,裁判官による裁判が形骸化するような場合,すなわち,裁判官の多数が無罪とするものを裁判員のみで有罪とすることができないようにする制度設計が憲法上要請されていると解する。

(イ) あてはめ

裁判員法67条は,裁判官と裁判員の「双方の意見を含む合議体の員数の過半数」と規定しているところ,少なくとも裁判官の一人の賛成が必要とされるのであるから,被告人は,身分保障を受けた裁判官による裁判を受けているといえるし,また,法のプロによる裁判を受けていると評価することができる。したがって,裁判員制度は合憲と解する。

 

 

2 身体の拘束に対する保障

(1) 不当逮捕からの自由(33条)

(2) 不当な抑留・拘禁からの自由(34条)

(3) 行政手続などにおける身体の拘束(13条)

 

3 証拠の収集・採用に関する保障

(1) 不法な捜索・押収からの自由(35条)

(2) 自白の強要からの自由

(ア) 不利益供述強要の禁止(38条1項)

a 問題となるケース

所得税法の質問に答える義務(242条8号)の38条1項適合性(答えると脱税発覚)

b 判例

「実質上,刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するか」(川崎民商事件[最大判昭和47年11月22日刑集26巻9号554頁])

* 学説は,答弁から得た資料は行政目的の実現のみ使用が許され,刑事責任追及には,使用することができないと解する。

(イ) 自白の証拠能力の制限(38条2項)

(ウ) 自白の補強証拠(38条3項)

(3) 証人審問権及び証人喚問権の保障

(ア) 証人審問権

自己に不利な証人に対する反対尋問権の保障を意味し,反対尋問を経ない証言には原則として証拠能力が認められない

Ex. 伝聞法則

(イ) 証人喚問権

自己に有利な証人を喚問する権利を意味する

 

4 公平な裁判所の迅速な公開裁判(37条1項)

(1) 公平な裁判所

公平な裁判所とは,訴追者側の利益に偏した裁判をするおそれのない裁判所をいう

(2) 迅速な裁判を受ける権利

高田事件(最大判昭和47年12月20日刑集26巻10号631頁)

(3) 公開の裁判を受ける権利

公開裁判とは,国民が自由に傍聴できる裁判をいう

 

5 弁護人依頼権及び国選弁護人権(37条3項)

(1) 弁護人依頼権(34条,37条3項)

34条―抑留・拘禁する際に弁護人依頼権が与えられなければならない

37条3項―『被告人』の弁護人依頼権(抑留・拘禁の有無は関係ない)

 

(2) 国選弁護人権

37条3項前段―消極的権利

37条3項後段―積極的権利

* 憲法上はこの権利の存在を告げることまでは必要ないとする(最大判昭和24年11月2日刑集3巻11号1737頁)が刑訴法は告知を要求する立法政策を採用(77条・272条)

* 刑訴法37条の2(一定の重罪事件について,国選弁護人を付すことにしている)

 

Ⅳ 拷問及び残虐な刑罰の禁止

1 拷問の禁止(36条)

2 残虐な刑罰の禁止(36条)

 

Ⅴ 刑罰放棄の不遡及と二重の危険の禁止(39条)

1 遡及処罰の禁止

39条前段前半は,行為時には適法であった行為を行為後に制定した法により違法と定め,行為時に遡って処罰する法を禁止

 

2 二重の危険の禁止

(1) 意義と趣旨

39条前段後半は,刑事裁判を受けるという手続的負担を二重にかけないとする点にある

∵ 被告人の立場とは,刑罰の不安におののき,裁判に時間をとられ,経済的に追い詰められ,社会的制裁を受けるなどの危険にさらされる。そこで,同一行為に対してかかる危険を二重に課されることのない保障を与えた

(2) 刑事罰と行政制裁の併科が憲法39条に反しないかということがある

高橋説 39条が問題としているのは,刑罰の併科に限定と解すべきだが,行政制裁かは,実質に即して判断すべき(形式的には,行政制裁の形をとっていても,実質的には刑罰と同性質であるか,あるいは,刑事手続と同程度の負担を強いるものである場合は,実質的には刑罰の併科と評価すべき)[1]

第11章 参政権・国務請求権・社会権

(1) 権力への自由

視点 11章で扱う権利は,「自由権を支えて補完する」という役割を有する

∵ 日本国憲法は,「権力からの自由」というロック的自由観を有し,「権力への自由」というルソー的自由観を基本理念とはしていない(直接民主主義の否定)

ただし,日本国憲法は国民主権原理を採用しているから,国民は権力主体ではないが,代表者を通じて国政に参加することを予定(日本国憲法は,国民に参政権を与えることにより,国民に付与された自由の保障を確実にしようとしていた)

(2) 権力による自由

視点 「権力による自由」は,国家の存在を前提とするところ,国家の役割とは,「自然権をよりよく保障するために必要であるから」である。そこで,憲法は,自然権を実定法上の権利として保障するためのシステムの構築を命じている。例えば,裁判救済システムの構築がそれである(32条)。また,20世紀になり「社会権」が憲法上の権利として実定化されている。これは,どのような視点でとらえるか難しいが,社会権がなければ自然権の保障は意味をなさないと考えるのか,それとも,国家の役割には,最低限のセーフティ・ネットの整備が含まれると考えて説明することになると思われる。

 

Ⅰ 参政権

1 総説

(1) 参政権とは,政治に直接,あるいは,代表者を介して間接に,参加する権利をいう

∵ 国民が政治に参加する権利を持つことは,国民主権からの当然の帰結

(2) 日本国憲法と政治参加のシステム

① 一定の制度を利用しないで行う政治参加

表現の自由や請願権

② 一定の制度を利用して行う政治参加

Ⅰ 国民による政策意思の表明を直接表明する方法(国民投票,住民投票)

Ⅱ 人を選挙したり罷免したりすることを通じて間接的に表明する方法

(国政・地方選挙,国民審査)

* Ⅱは,15条1項が根拠。ただし,15条1項の制度趣旨は,公務員の地位の根拠は,国民に由来しなければならないという点にあり,貴族・華族などの一定の身分にあることから当然に公務に付くという封建的な身分制の原理を否定したものにすぎない。そうだとすれば,公務員の地位の根拠は,間接的であっても国民に由来している限り許される,ということになるから,国民による選定や罷免の権利の保障が間接的であることまで否定しているわけではない。

 

2 選挙権・被選挙権

(1) 選挙権の性質

視点 選挙は「公務」としての性格があるのか

権利・公務二元説

選挙への参加は権利であると同時に公務であるとする二重の性格あり

権利一元説

選挙権の根拠を「人民主権」に求め,公務性の基礎には「国民主権」や国家法人説などが残存しており,日本国憲法の解釈として誤っている

高橋説

高橋説は,権利・公務二元説と権利一元説の対立には意味がないとする。この論点が生じるのは,①公職選挙法が一定の場合に一定の者から選挙権を奪っているのは,違憲ではないか(9条・11条参照),②法律を改正して強制投票制度を導入することができるか―という2つのケースに限られると指摘する。

そして,①のケースについては,従来,権利一元説からは違憲,権利・公務二元説からは合憲という割り切った考え方が多かった。しかしながら,高橋説は,二元説を採用したとしても,選挙権に対する制約については,厳格審査が妥当し,その正当化の一つの根拠として公務性に言及しているにすぎない。すなわち,選挙権の公務性の性格に言及して,緩やかな審査基準を妥当させているというわけではないとすれば,二元説でもそれほど不当ではないとする。

また,②のケースについては,ポイントとなるのは,選挙権の不行使がもたらす害悪が重大なものといえるかにあるとする。そうすると,二元説に立ったからといって合憲になるわけではなく,具体的な社会状況下における危険の害悪の評価によっては,違憲と解することもできる。また,一元説にたって厳格審査を妥当させたとしても,それをパスするほどの害悪が発生する危険が具体的に差し迫っている,という評価がなされれば合憲となる可能性はあるとする[2]

 

 

 

(2) 選挙の基本原則と選挙権の価値の平等

① 普通選挙(15条3項)

普通選挙の原則とは,すべての成人に選挙権を与えることを要求することをいう

② 平等選挙(15条・44条)

平等選挙の原則とは,複数選挙(ex.東大卒の人は一人5票)や等級選挙(ex.金持ち枠と貧乏枠に分けて選挙をする)は許されないとする

Cf. 一票の格差の問題

判例(最大判昭和51年4月14日民集30巻3号223頁)は,不均衡を14条の問題と

③ 秘密選挙(15条4項)

秘密投票とは,誰に投票したかが分からない投票方法をいう

④ 自由選挙(強制投票の禁止)

自由選挙とは,投票しない自由を認め棄権に対して罰金などの制裁を課さない制度をいう

⑤ 直接選挙(間接選挙の禁止,43条1項)

直接選挙とは,投票人が直接代表者を選ぶ制度のことをいう[3]

 

 

(3) 被選挙権

被選挙権とは,直接には投票対象となる権利をいい,立候補制を採用している場合には立候補の自由として現われる

論点 立候補の自由に対する制約として高額な供託金制度がある。しかしながら,安易な立候補を防止するという立法目的が重要なものとしても,資金を欠く者に対して一定数の有権者の署名により代替することを認めるなどの措置が採られる必要があるから,違憲の疑いが強い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ⅱ 国務請求権

国務請求権とは,国家による行為を請求する権利のうち,積極国家の思想と必ずしも結びつかないものをいう

1 請願権(16条)

何らかの応答が憲法上義務付けられているわけではないので,厳密には国務「請求権」とはいえない(国民には国家の行為を請求する権利はないことになる)

⇒ 参政権的な分脈で理解する!!

2 国家賠償請求権(17条)

論点 他の法律で責任範囲を制限あるいは免責している場合の合憲性

郵便法違憲事件判決(最大判平成14年9月11日民集56巻7号1439頁)

3 刑事補償請求権(40条)

社会全体の利益のために特定個人が犠牲となることを少しでも緩和し公平を期す

⇒ 抑留・拘禁という大きな負担を負った場合は,過失がなくても補償を認める

 

 

 

 

 

 

 

4 裁判を受ける権利(32条)

(1) 事件の種類と裁判を受ける権利

刑事⇒裁判なしでは処罰なし(31条・37条)

民事⇒国家による救済を求める側の訴訟提起の権利として構成

行政⇒行政の行為を争う訴訟を提起する権利として構成

(2) 「裁判を受ける権利」の保障内容

① 原則として「裁判所」による裁判が受けられること

②  「裁判」といい得る内実を備えたものである必要(Ⅰ中立で公平な第三者により,Ⅱ適正な手続に従い,Ⅲ十分な理由の説示を伴うこと,Ⅳ実効的な救済方法であること)

(3) 憲法訴訟論

① 憲法訴訟

憲法訴訟とは,民事・刑事・行政訴訟として提起された訴訟のうち,当事者が,攻撃防御方法の一つとして,その事件に適用される法律などの違憲性を主張している訴訟をいう

② 違憲主張の利益

違憲主張の利益とは,裁判所に憲法判断をしてもらうためには,どのような違憲の主張をすればよいかということをいう

違憲主張の利益が認められるためには,当事者の違憲の主張が当該事件と高度の直接的な関係性をもっていることが必要である

③ 第三者の権利侵害の違憲主張適格

第三者の権利侵害を理由に法律の違憲性を主張するためには,自らに適用される法律の違憲を主張する必要がある(第三者所有物没収事件判決参照)。

第三者所有物没収事件判決

没収の言渡を受けた被告人は,たとえ第三者の所有物に関する場合であっても,被告人に対する附加刑である以上,没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうることは,当然である。のみならず,被告人としても没収に係る物の占有権を剥奪され,またはこれが使用,収益をなしえない状態におかれ,更には所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等,利害関係を有することが明らかであるから,上告によりこれが救済を求めることができるものと解すべきである。

 

垂水裁判官補足意見

米連邦最高裁では,単に他人の憲法上の権利のみを援用して或る法律を違憲であると主張する上告は不適法であるとされている。

なぜなら,ある憲法上の権利を害された者が最もよくその憲法上の争点を裁判所に提出し,裁判所もその本人の主張ある場合にのみ適正に憲法判断をすることができるからである。

これは,憲法上の権利者が権利侵害を甘受するかも知れないのに,他人が先走って権利を援用した場合に判決するのは適当でない,との考えに基づいている。

一般的に上告の場合,理由で他人の利益が侵害されることのみを主張し,自己利益が害されるおそれがある具体的主張を含まないものは,不適法である。もっとも,被告人の違憲の主張が認められると,被告人が附加刑を免れる具体的,必然的関係にある場合は例外的に実体判断できる。

この点に関し,かかる判断は,「被告人は自己の犯罪により没収を免れることはできない。被告人自身に関する限り,上告論旨は理由がない」とすることも考えられる。しかしながら,上告を棄却して原没収判決を正当として終ると,結果として,違憲な没収判決により第三者は所有権を剥奪される。この場合,第三者がかような違憲な手続で所有権を奪われることを食いとめることの方が急務であり,正義衡平の要求にも合する

*刑事裁判で行訴法10条1項の適用がないから問題となったのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ⅲ 社会権

1 生存権

(1) 法的性格

(ア) 問題の所在

法律又は法律の委任による命令の定めた内容が憲法25条の理念に照らして不十分であり,法律の解釈によっては補完しえない場合,裁判所は憲法の要求する生存権の内容を独自に判定し,それに基づき法律を違憲と判断することは許されるのか

(イ) 学説[4]

① 裁判所は,国会の権限を代位行使することを認めるべきではないから,法律の不十分であるという点について介入すべきではないとする見解

∵ Ⅰ プログラム規定説,Ⅱ 抽象的権利説

② 生存権の具体的内容の決定について,第一次的には国会が権限を持つが,国会が権限行使を適正に行わなかったり,あるいは,怠ったりするときには,裁判所にも発言権を認めるべきとする見解

∵ 具体的権利説(ただし,現行法が違憲であることの確認判決を出すことにとどめるべきであり,それを受けて具体的な改善を行うのは国会の責務とする)

最大判平成20年6月4日藤田宙靖裁判官の意見

一般に,立法府が違憲な不作為状態を続けているとき,その解消は第一次的に立法府の手に委ねられるべきであって,とりわけ本件におけるように,問題が,その性質上本来立法府の広範な裁量に委ねられるべき国籍取得の要件と手続に関するものであり,かつ,問題となる違憲が法の下の平等原則違反であるような場合には,司法権がその不作為に介入し得る余地は極めて限られているということ自体は否定できない。

しかし,立法府が既に一定の立法政策に立った判断を下しており,また,その判断が示している基本的な方向に沿って考えるならば,未だ具体的な立法がされていない部分においても合理的な選択の余地は極めて限られていると考えられる場合において,著しく不合理な差別を受けている者を個別的な訴訟の範囲内で救済するために,立法府が既に示している基本的判断に抵触しない範囲で,司法権が現行法の合理的拡張解釈により違憲状態の解消を目指すことは,全く許されないことではないと考える。

(立法府の)線引きが,その一つ一つを取ってみた場合にはそれなりに立法政策上の合理性を持つものであったとしても,その交錯の上に上記のような境遇に置かれている者が個別的な訴訟事件を通して救済を求めている場合に,考え得る立法府の合理的意思をも忖度しつつ,法解釈の方法として一般的にはその可能性を否定されていない現行法規の拡張解釈という手法によってこれに応えることは,むしろ司法の責務というべきであって,立法権を簒奪する越権行為であるというには当たらないものと考える。

なお,いうまでもないことながら,国籍法3条1項についての本件におけるこのような解釈が一般的法規範として定着することに,国家公益上の見地から著しい不都合が存するというのであれば,立法府としては,当裁判所が行う違憲判断に抵触しない範囲内で,これを修正する立法に直ちに着手することが可能なのであって,立法府と司法府との間での権能及び責務の合理的配分については,こういった総合的な視野の下に考察されるべきものと考える。

 

(ウ) 判例

a 朝日訴訟(最大判昭和42年5月24日民集21巻5号1043頁)

争点 生活保護法に基づく扶助が低額すぎて憲法に反すると争った行政訴訟(具体的

∴ 判決は,何が健康で文化的な最低限度の生活かについては,生活保護法は,その認定判断を厚生大臣の裁量に委ねており,本件の事実関係については,裁量権の逸脱・濫用があったとはいえない[5]

b 堀木訴訟(最大判昭和57年7月7日民集36巻7号1235頁)[6]

争点 障害福祉年金を受給していた原告が児童扶養手当の受給資格の認定を請求したところ,児童扶養手当法の定める併給禁止規定に該当するとして却下処分を受けた。そこで,併給禁止規定の憲法25条適合性を争ったのが本件である

∴ 「憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を構ずるかの選択決定は,立法府の広い裁量に委ねられており,それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き,裁判所が審査判断するのに適しない事柄である」と判示した[7]

(2) 審査基準

高橋説 ある個人に関係する諸法が全体として最低限を確保しているかどうかについて,「通常審査」をすべき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 教育を受ける権利

(1) 学習権

① 教育とは

教育とは,人格的自律に必要な成熟した判断能力と教養などを身につけるための基礎的な能力と知識を育てる過程のことをいう。

② 学習権とは

子どもの学習権とは,教育を受ける権利には受動的な響きがあるために,子どもが主体的に学んでいくことの大切さが忘れ去られやすいので,子どもの学んでいく能力を獲得し鍛錬していくという,子どもの「学習権(発達成長権)」を常に中心に置くための概念のことである

*発達成長のために必要な教育を施すよう求める権利

(2) 公教育

(ア) 公教育制度の基本設計

 自由競争モデル 参加モデル
自由競争モデルとは,教育内容の決定は,基本的には,「権力からの自由」の構造で理解され,各学校単位で決められるのが最善 参加モデルとは,教育内容の決定は,親が「共同決定」するべきという考え方をいう
教育内容についてまず発言権を有するのは親であるという考え方を重視・強調する 学校教育は,親(国民)の共同作業であることを重視すべき*

*参加モデルの問題点(共同決定のレベルをどのように決定するか)

① 学校単位

② 市町村・都道府県単位

③ 全国単位(国レベルで共同決定すべきとすれば,法律に基づいて文部科学省が決定するという論理となる)

(イ) 国の教育権と国民の教育権

① 学習権保障のためには

学習権を保障するためには,ⅰ国が教育の場を提供し,ⅱ親が自己の保護する子どもを通わせる必要がある

② 教育権とは,

教育をする権利は,国の権利はないが国民の権利としてもない。教育権とは,学習権に応える義務は誰が負うべきか,という問題と理解するべき

教育権は,子どもの個性を伸ばす,という理念により行使される必要がある

③ 国の教育内容を決定する責務は

国の教育内容を決定する責務は,憲法上子ども自身の利益の擁護のため,必要かつ相当と認められる範囲において,教育内容についてもこれを決定する責務を負っている(旭川学力テスト事件判決[最大判昭和51年5月21日刑集30巻5号615頁])

④ 学習権侵害になる場合とは

学習権侵害となる場合とは,子どもの人格的自律に必要な成熟した判断能力や教養を身に着けることを阻害するような国家的介入,すなわち,誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を強制する場合

⑤ 学習指導要領の法規性が認められる範囲とは

学習指導要領の法規性が認められる範囲は,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的基準のみ(難波判決)

*旭川学テ判決と伝習館事件判決が先例とされるが,明確に判示しているわけではない

子どもの学習権(26条)を中心に出発させて,親を中心として全体であると考えるのが国民教育権説

*親の教育を考えるのではなく,あくまで子どもの学習権を出発点としてとらえること

*教育基本法旧10条1項は,「不当な支配」⇒かつての軍部の介入が念頭

*法律に基づく教育行政についても「不当な支配」の主体となり得ると旭川学テ事件判決

*教育の地方自治の意義

団体自治的な意味からすれば,国家からの文脈において理解することになる。国家が一義的に教育の内容を決めることになる。また,住民自治は民主的な側面でより利益調整の場所をより近い場面でやるということ。

*教育基本法16条

人格の形成を充足していくという教育のあり方という問題。

*校長の位置付け

学校自治の担い手である。教諭は児童の教育を司るとされている。学校の上級行政庁の出す通達とか方針などについて全面的に従う義務があるか。この点,行政機関であることを強調すれば,裁量はないということになる。これに対して,児童の学習権から不当な介入があればそれを排除する義務がある。防波堤。

*国と地方公共団体の関係

上下関係はなく並列的なものと

*基本的な視点は子どもの利益を中心に親の利益,国家の利益を具体的に問題となっている人権に即して論じられるように

(3) 教科書訴訟

争点 国は,叙述内容の当否まで立ち入ることが許されるのかが争われて,この争点に関連して国の教育権と国民の教育権が対立したもの

判旨 ① 教科書検定制度は,合憲

② 国も内容について「必要かつ相当と認められる範囲」内で決定権限を持つ(第1次訴訟[最判平成5年3月16日民集47巻5号3483頁])。なお,第三次訴訟(最判平成9年8月29日民集51巻7号2921頁)では,必要かつ相当の範囲を超える介入がなされたと判示されている

3 勤労の権利

自己の生存は自己の勤労により確保するというのが社会の基本原則

それが自己責任に帰しえない理由により実現困難なときに25条の保障が働くにすぎない

4 労働基本権

(1) 保障の意義と手段

視点 労働基本権は,近代的な私的自治に委ねられた経済秩序においては,労働者は生存を確保するのが困難であった。そこで,労働関係における私的自治に修正を加える点に意義がある。かかる目的を達成する手段には2つがある。

① 労働契約の内容を契約の自由に委ねないで,最低限の労働条件の保障を法律で定める方法(⇒ 労働基準法の制定)

② 労使の話し合いに委ねられた労働条件について,労働者に使用者と対等の交渉力を確保すること(⇒ 団体行動権,団体交渉権,争議権)

(ア) 団結権

団結権とは,労働組合を結成する権利のことをいう

視点 通常の結社の自由は,「結社しない自由」も含むのに対して,労働者の団結権の場合は,団結しない自由の制約が結社権の場合よりも広範に認められる

(イ) 団体交渉権

団体交渉権とは,労働条件についての交渉を団体として行うことを権利として認めることをいう(⇒ 労働者の交渉力の強化をもたらし,使用者との対等性を確保しようとした)

(ウ) 争議権

団体行動権(通常の組合活動も含むため)の中心は争議権である。

Ex. ストライキ,怠業,職場占拠,ピケッティング

(2) 公務員の労働基本権の制限

国家の立法政策 三権すべて否定 団結権は認められているが,団体交渉権は制約され,争議権は否定されるもの 団結権・団体交渉権は認められているが,争議権は否定されるもの
公務員の種類 警察官,消防隊員,自衛官 非現業の国家・地方公務員 現業の公務員

(3) 判例の変更の経過(全農林警職法事件[最大判昭和48年4月25日刑集27巻4号547頁]以後の判例変更について)

① 全逓東京中郵便局事件(最大判昭和41年10月26日刑集20巻8号901頁)は,全逓名古屋中郵便局事件(最大判昭和52年5月4日刑集31巻3号182頁)により,変更された

② 都教組事件(最大判昭和44年4月2日刑集23巻5号305頁)は,岩手教組学テ事件(最大判昭和51年5月21日刑集30巻5号1178頁)により,変更された



[1] いわゆるメーガン法の日本版法が制定された場合(旧試平成16年度1問)は,憲法39条との関係が問題となる。もっとも,親権者からの請求があった場合に開示しなければならないという制度の場合,その目的は,子どもがかつて子どもに対する性犯罪をした者と接近して,再び犯罪に巻き込まれることのないようにするという犯罪の予防という点に重点があるから,これは行政目的ということができる。そして,情報の公開もその決定を処分と構成するのであれば,行政措置ということになる。したがって,刑罰の併科を禁止するという39条の射程距離には入ってこないということになると思われる。もっとも,その目的が実質的には,刑罰の目的の一つである犯罪者に対する制裁という側面を有する場合,形式には行政処分であっても実質には,刑罰と同一の性質を有すると解すべき場合があるように思われる。そうだとすれば,例えば,本問の状況を超えて,一般に公開するという性格の場合,これは親権者や子どもとは関係ない人にも性犯罪者であることをアナウンスすることになるから,もはや前記の法律の目的を超えてしまい,その結果,刑罰と同様の犯罪者に対する制裁を与えるものとして,39条に反すると解することは可能であるように思われる。

[2] 高橋説が傾聴に値するのは,一元か二元かという選挙権の性質論から演繹的に結論が導かれるわけではないとする点にある。そして,重要なことは,選挙権に対する制約は,厳格な審査をする必要があると指摘する点である。これは在外選挙権訴訟の最高裁大法廷判決にも見られる発想である。そうしてみると,選挙権に公務的な性格があってもなくても,審査基準を緩める理由とはならないと考えると,厳格審査が妥当するということになる。例えば,投票強制法が制定された場合,国民の投票棄権の自由が制約されるということになる。この点,棄権をするという場合は,適切な候補者が存在しない場合に抗議の意思表示を黙示的にするという意味合いを含んでおり,それなりに価値を認められる行為といえるわけであり,その自由自体も選挙権の一内容に含まれると解すべきである。したがって,これに対する制約は厳格な基準,具体的には,立法目的がやむにやまれず政府利益の確保にあり,かつ,かかる規制をしなければ,重大な害悪が生じる危険が明らかに差し迫っていることが必要と解すべきである。そうしてみると,投票強制法の目的は,国民に国政上の意思表示を強制することによって,国民主権の原理に沿った代表者を選出しようという点にあると思われる。この目的自体は,やむにやまれぬ政府利益と評価できるように思われる。しかしながら,投票を強制しなければ,重大な害悪が発生する危険が明らかに差し迫っているといえるかである。この点,必ずしもすべての国民の意思を反映された代表者が選出されない場合は,国民の意思とかけ離れた政治が行われる危険があるとはいえる。たしかに,国民主権の原理に照らすと,社会科学的には,国民の意思と政治的な代表者の意思は接近しているのが望ましいといえる。しかしながら,投票を強制しないでも,国政選挙の場合,半数程度の人が投票をしているという社会的実態があるわけであり,このような投票率では,国民の意思を反映しない代表者しか選任されないとまではいえないように思われる。また,小選挙区制を採用する衆議院選挙の場合は,自らが支持する政党の候補者がいないことも想定されるように思われるのであり,投票を強制したところで白票を投じる可能性も否定できない。しかも投票しても死票となる可能性は存在するから,投票すればその票が全部代表に反映されるというわけではそもそもない。そうすると,目的との間の実質的な関連性は乏しいといわざるを得ない。そうしてみると,投票強制立法を制定したところで,上記の危険が明らかに差し迫っているとはいえず,その危険は抽象的なものにとどまる。また,目的と手段との関連性の程度も密接とはいえない。したがって,投票強制立法は違憲と解すべきように思われる。

[3] 国会議員の選挙の場合については,日本国憲法の規定には直接選挙を定めた規定は存在しないから,直接選挙の原則が憲法上の要請かが問題となる。この点,43条の「選挙された議員」とは,国民主権の原理の下では,直接選挙された議員の意味に解すべきであるから,原則は直接選挙によって議員を選出しなければならないと解される。もっとも,すべての議員が直接選挙でなければならないというわけではなく,その中心が直接選挙であれば,周辺的な部分に間接選挙が取り入れられても必ずしも違憲ではない。

[4] 生存権の法的性質論については,議論が錯綜しているように思われるから,若干の補足説明を行うこととしたい。まず,前提として,ある法律の憲法25条適合性が争われるという場合に裁判所は違憲判決をなし得るかという問題がある。この点,25条が純粋なプログラム規定説を採用していると考えれば,そもそも法的規範性がないのであるから,違憲判決をする余地はないことになる。しかしながら,この点については,最高裁ですら明白性の原則によるテストを行うと述べていることから,積極に解するべきである(プログラム規定説は誤りである。)。

次に問題となるのが,では,かかる法令が違憲であるとして,その給付を命じることが司法権の限界を超さないかという問題がある。これは,堀木訴訟でいえば,仮に併給禁止規定が違憲とすれば,児童扶養手当の支給が直ちに認められるのかという問題ということができる。

すなわち,併給を禁止することが仮に違憲であるとしても,障害福祉年金と児童福祉手当ては,いずれも対象者の所得保障を目的とするものであるから,併給禁止が極端で目的と手段との均衡を失しているとして違憲であるとしても,だからといって,例えば,児童扶養手当は50パーセントだけ支給するということであれば合憲ということも考えられると思われる。すなわち,違憲無効と解した後には,立法者意思が介在する余地があるから,国会による立法を待つ必要があるのではないかという問題意識ということができる。この点,プログラム規定説・抽象的権利説は,仮に生活保護法が違憲と解しても新たに立法者により要件が補充される必要があるから,裁判所が法令を違憲と考えたとしても,原告の思うような給付を命じることは,合憲的補充解釈が認められるのかという問題となるのであり,この点について否定的に解するのが両説ということができる。これに対して,具体的権利説という見解も主張されているが,これは裁判所に違憲確認をしてもらえるというものである。思うに,これは,結局,法令の違憲を理由にある処分を求めて出訴した場合に,原告の思うところの処分をすることは立法の解決に委ねるべきで,これを認めることはできないが,前提の法令が違憲状態にあることを確認して裁判所が立法府に対して立法を促すという趣旨であると解される。これは,傍論として違憲判断を示すという意味にとられることができるのであるところ,傍論で憲法判断をするかは,浦部教授の見解に依拠すれば,司法権の概念との関係で問題を生じることはなく,したがって,裁判所の裁量と理解すべきと思われる。具体的権利説は,かかる裁量を発動せよと説くものにすぎずこれはプログラム規定説ではできないが,抽象的権利説からも認められる見解といえる。結局,具体的権利説も少なくとも,抽象的権利説との関係では本質的な差異はないのである。思うに,私見は,合憲的補充解釈は,法令の趣旨,目的にかんがみて,立法者がこれを否定しないという意思がうかがえるのであればこれを肯定すべきように考える。そうすると,場合によっては,裁判所が要件を補充して,具体的な給付まで認めてよいということまで発展させてもよいのではないかと思う。すなわち,この議論は,あくまで司法権の限界という観点から判断されるべきで,生存権の性質論から演繹的に結論が出るという性質のものではないという点に留意する必要があると考える。この点については,国籍法違憲事件の藤田裁判官の意見が参考になると思われる(後述)。

[5] 朝日訴訟は,適用違憲の争い方をしたにすぎず生活保護法自体の憲法25条適合性を争った事案ではないから,最高裁は厚生大臣の処分についての裁量を問題にしたにすぎず,立法裁量の限界を取り上げることはしなかった。

[6] 最判平成19年9月28日[学生無年金訴訟]も参照。この判決では,14条違反の議論は,25条に付随する広範な立法裁量に吸引され独自の意義を失ったものと評価されている。すなわち,判決は,「25条の趣旨にこたえて制定された法令において受給権者の範囲,支給要件などについて何らの合理的理由のない不当な差別的取扱いをするときは別に憲法14条違反の問題を生じ得ることは否定し得ない」としたうえで,法令の定めは,「著しく合理性を欠くということはできず,加入などに関する区別が何ら合理的理由のない不当な差別的取扱いということもできない」として,憲法25条・14条に反しないと結論付けている。

[7] 朝日訴訟と異なり堀木訴訟では,処分の違憲(適用違憲)ではなく,法令の憲法25条適合性が争われた。判決は,国会が「それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合」は,裁判所の審査の対象となると考えている。そうすると,観念的には,社会福祉法制が憲法25条に違反する場合を裁判所は想定しているということができる。したがって,最高裁は,憲法25条の法的規範性は肯定しているといえるから,純粋なプログラム規定と解しているわけではない。ただし,最高裁は明白性の原則を採用しているがこの点については疑問がある。すなわち,ベースラインとしての通常審査が要求されると考えると,その審査基準が緩まる場合とは,①内容規制でなく手段規制にとどまる,②弱者保護のために強者が自己規制をする場合,③納税関係,④裁判所の審査能力が十分ではないという点にある。たしかに,生活保護や社会福祉立法の憲法25条適合性の問題については,②と④にあたる可能性がある。しかしながら,②との関係では,25条は生存権が弱者の自立を助成するための最低限の保障であることを考えると,強者の自己規制の場合とはいえないように思われる。また,具体的にどのような生活保護の額をもって妥当するかは,様々な要素を考慮しなければならないから,その意味では資料に基づく予想的判断が必要となるから,この点に関する裁判所の能力が十分とは言いがたい面があることは否定できないが,少なくとも原告の置かれた具体的状況が憲法の想定する最低基準に達しているかについては,客観的に確定できるということができるから,最低限であるか否かが争われた場合に,その立法裁量を広く認めることには矛盾があり,裁量の範囲は限られていると解すべきではないかという疑問がある。

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