捜査と憲法
捜査と憲法です。
捜査は憲法上の人権を制約します。したがって、どの程度の必要性と相当性があるかを判断していく必要があります。いわゆる共謀罪も同じといえます。
第1編 捜査と憲法
第1 捜査と憲法との関係
1 前提
① 捜査は,国民一般の基本的人権の侵害・制約を伴う
② 刑罰権の発動は基本的人権の制約そのものなので手続保障が重要
⇒ 憲法は,国家刑罰権の発動とこれを目的とする捜査ないし刑事手続一般の統制に関心を寄せる!!
2 憲法の統制
① 手続法定主義・適正な手続保障(31条)
⇒ 捜査権に対する立法府のコントロール
② 令状主義(33条・35条)
⇒ 捜査権に対する司法府のコントロール
3 実体的真実の発見と人権保障の調和
(1) バランシング
憲法は捜査権の行使も予定
⇒ 捜査権行使の対象となる国民の権利・自由の保障が捜査権に絶対的に優先する性質のものとまで極限できず
(2) 視点
ア 被侵害利益を具体的に特定
『人権』侵害とブラック・ボックスに入れることなく,人権の中で最も価値が高く尊重されなければならない,①人身の自由,②個人の住居の平穏,③私生活上の秘密,④プライバシーの利益,⑤通信の秘密のいずれに対して侵害が加えられているのか特定する
イ 調整の視点
合理的な根拠に基づく必要な範囲に統制し,不当・不合理な侵害を避け,「個人の基本的な人権の保障」(1条)に資するか
* 実体的真実の発見の後退?―公判前整理手続をめぐるパラダイムの転換[1]
[1] これまでの刑事裁判実務では,実体的真実主義の観点から裁判所は,当事者双方から提出された証拠をかなり幅広く採用して証拠調べを行い,これを綿密に読み込んで分析,検討し,正確でしかも可能な限り事件の背景にまで踏み込んだ事実認定を目指してきたとされている(読本Ⅰ133)。このような視点からは争点の絞り込みに対する問題意識は深いものとはいえなかったわけである。他方で,民事訴訟法の世界に目を向けると,弁論準備手続により骨太の争点整理が行われ,そのフレームに基づいた公判の運営が行われているといえる。逆にいえば,そこで取り上げられない事実というものも当然存在するわけであるが,それは迅速な裁判という観点(五月雨審理の防止)から,その後の判決も真実は訴訟法的な真実で構わないという割り切りがあるといえよう。
これに対して,刑事裁判の世界ではそのような割り切りはこれまではあまり意識されてこなかった。しかしながら,今後は公判前整理手続を多くの裁判が経由することになる。そうすると,審理対象となる事実は,当該犯罪事実と量刑上重要な情状事実の審理にとって真に必要な事実に絞り込まれることになる(読本Ⅰ134)。そうすると,ある程度は裁判官の側からしても,民事裁判のような訴訟法的真実で足りるという割り切り感というのも今後は出てくるということが予測されよう。
たしかに,実体的真実主義の無限体な尊重はドイツにおいても過去のものとなっている。しかしながら,この問題意識はある意味では深刻なものである。というのも,無実の被告人を手続から解放し,また無罪の判決を与えるための真相の解明は,つねに尊重される必要があるからである(条解3)。このような観点からすれば,今後は,かつての精密司法というものではなく,実体的に正しい判断であれば,後は「ざっくり」認定するというざっくり司法となることが予測されるが,それはあくまでも実体的真実をざっくり認定するというものにすぎず,訴訟法的な真実で満足するという趣旨ではないと考えられる。突き詰めれば,民事のような訴訟法的な真実の発見で満足するものではなく,最低限,実体的真実発見を達成するために刑事には譲れない一線というものがある,ということを自覚しておく必要があるように思われる。公判前整理手続においても,とかく審理する争点ないし証拠の厳選が要求されているが,これも,あくまで実体的な真実を追求するに足りるものである,という基本的視座は忘れてはならないものと考える。