弁護士コラム

刑事訴訟法

自白

第23編 自白

第1 自白の意義

1 自白の意義

自白とは,自己の犯罪事実の主要な部分について,全部又は一部を認める供述をいう

* 構成要件該当事実は認めるが,違法性阻却事由を主張する場合も含まれる

2 類似概念

(1) 有罪であることの自認・陳述(319条3項,291条の2)

有罪の自認とは,犯罪の成立を争わず,罪責を承認する陳述をいう

⇒ 自白よりも狭い

* 自白は,犯罪の成立までは認めない場合もあるから

(2) 被告人に不利益な事実の承認(322条)

不利益な事実の承認とは,犯罪事実を推認させる間接事実の承認,犯罪事実を認定する証拠の証明力に関する不利益な供述も含む広い概念

⇒ 自白よりも広い

* 自白にあたらないが,不利益な事実という場合は補強証拠がいらない

 

第2 自白の証拠能力

1 任意性に疑いのある自白

ア 憲法38条2項,刑訴法319条1項

イ 憲法と刑事訴訟法

(ア) 問題の所在

憲法38条2項は,「強制,拷問…」と規定し,刑訴法319条は,これに,「その他任意にされたものでない疑いのある自白」を付け加えている

(イ) 検討

● 「不任意の疑いのある自白」は,憲法38条2項の趣旨を拡張したもの

×① 憲法を拡張したものではなく,敷衍・具体化したもの

② 「不任意」の部分は自白全体を包括する文言として用いているので,切り離して理解することには無理がある

○ 憲法38条2項と刑訴法319条1項の保障の範囲は完全にイコール(大澤)

* 最大判昭和45年11月25日刑集24巻12号1670頁

判例は,任意性に疑いのある自白を証拠に採用することは,「刑訴法319条1項の規定に違反し,ひいては憲法38条2項にも違反する」とするので,両者の適用範囲をイコールと考えている

 

 

 

 

 

 

第3 排除の根拠と基準

1 虚偽排除説と人権擁護説

(1) 虚偽排除説

ア 定義

虚偽排除説とは,任意性が疑わしい自白は,虚偽の蓋然性が高く信用性も乏しいので,誤判防止の観点から排除されるとする見解をいう(正確な事実認定の担保)

イ 判断基準

虚偽の自白を誘発するおそれが類型的に大きい状況であったか否か

ウ 批判

① 真実であることが確かな自白も証拠能力は否定される[1]

② 証明力判断を任意性(証拠能力)判断に先行させることになりやすい

⇒ 自白が真実かどうかを検討し,真実ならば虚偽を誘発する状況はなかったという判断となりやすい

(2) 人権擁護説

ア 定義

人権擁護説とは,供述者の人権(主として黙秘権)を侵害したことを理由に,自白が排除されるという見解をいう

イ 判断基準

供述者の供述の自由,意思決定の自由が損なわれたか否か

ウ 批判

① 黙秘権と自白法則との混同[2]

② 憲法38条2項の独自の意義がなくなる[3]

③ 利益誘導による自白[4]

2 違法排除説とその検討

(1) 違法排除説の意義

ア 定義

違法排除説とは,自白の採取方法・過程にデュー・プロセス違反があることを理由に,自白を排除するという見解をいう(違法収集証拠排除法則を自白にも適用し,その観点から憲法38条2項,刑訴法319条1項を位置付ける試み)

イ 判断基準

自白する者の心理状態ではなく,自白獲得行為が問題

(2) 違法排除説の2つの狙い

① 判断基準の客観化による自白法則の活性化

× 自白獲得手段そのものについての違法判断は可能か?[5]

② 違法に得られた自白一般の証拠排除

×① 違法収集自白の排除と憲法38条2項・法319条1項の直結を招く

② 不任意自白の排除を違法自白の排除と説明することの必要性

⇒ 任意性から切り離して理解することは無理,任意性に疑いのある自白の排除をすべて獲得方法の違法で説明できない

(2) まとめ

自白法則⇒伝統的な任意性説を維持

違法自白⇒違法収集証拠排除法則

* この考え方の方が,無理がない構造となる

* 違法集収集証拠排除法則が自白にも適用されるという田宮説の基本的発想は妥当であるが,田宮説が提唱されたのは大阪覚せい剤事件より前のことであり,そのため,実定法上の手がかりとして319条1項の解釈を経由するという方法が採られたが,今ではその必要性に乏しい[6](争点172,白取351)

* 違法排除説は,「違法収集証拠排除法則が供述証拠に適用される一事例」と説明すれば足りる

* 違法収集証拠排除法則を供述証拠に適用する場合は,「違法の重大性」の判断を緩めるべき(私見[7][8]

3 大澤説の検討(法教340号96頁)

(1) 結論

排除の対象は,あくまでも虚偽排除説の切り口で考えて,虚偽を誘発しやすい自白獲得方法ととらえる。

ただし,排除の論拠は,①正しい事実認定の確保だけでなく,むしろ,②同様の取調べ方法の再発を防ぐという抑止効果を中心に考える

∵ 虚偽自白を誘発しやすいような自白獲得方法は,それを違法というかは別として,将来繰り返さないことが望ましいことは疑いがない

* 大澤説は,虚偽排除悦と違法排除説を融合させた考え方をする。つまり,田宮教授は排除の対象を違法の場合と考えたわけであるが,大澤は同様の論拠によりつつ,違法排除説の対象を虚偽のおそれのある自白獲得方法による取調べにより得られた自白と理解するもの

* まったくの単独少数説

(2) 大澤の思考プロセス

大澤は,そもそも,319条1項については虚偽排除説を中心に理解していくという思考態度を取っている。そうすると,虚偽排除説を突き詰めてゆくとぶつかる問題点が生じてくる。これは,①捜査機関からの働きかけがないのに供述者が自白すれば利益供与があると思い込んで自白した場合,②約束自白をもとに何か新たな証拠が派生的に発見された場合にその派生証拠の証拠能力はどうなるのか-という問題点である。

この点,大澤は,①の論点については,捜査機関の働きかけが大なり小なりあればよいが,例えば,同房者から何か言われて思い込んだという場合には,任意性を否定しない方向で議論をしたいものと思われる。そうすると,この場合であっても,事実認定の誤りというのは生じる可能性があるから,虚偽排除説ではうまく結論を説明することができないということになる。

また,②の論点については,大澤は一定の範囲では排除したいと考えるようである。ところが,虚偽排除説からすれば,少なくとも派生的な客観証拠については,事実認定のおそれがないということになるから排除することはできないという帰結になる可能性がある。

そこで,排除の論拠は,抑止効果を中心に考えるというものである。たしかに,抑止効果を中心に考えれば,①の論点については,私人の行為によって任意性に疑いが生じたとしてもそれを排除する必要はないということになるし,②の論点についても将来の違法捜査を抑止するという見地から派生証拠を排除すべき場合があるように思われる。

(3) 疑問点

しかしながら,やはり思いつきの域を出ないようにも思われる。やはり,違法収集証拠排除法則が司法の廉潔性を中心に据えて思考しているのに,任意性について,抑止効を中心に考えるというのはやはり矛盾しているのではないだろうか。そうすると,任意性についても司法の廉潔性を中心に据えるということになるが,実はこれは田宮教授の違法排除説そのものとなりかねない。だが,私見によれば,虚偽のおそれのあるような自白を証拠として用いるというのは,司法の廉潔性を害するというような説明もできないわけではないように思われる。もちろん,超少数説である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4 自白の証拠能力

⇒ 二段階の証拠能力の制約

 

* 大澤説の思考プロセス

 

① 任意性に疑いのある自白(憲法38条2項,法319条1項)

⇒ 虚偽排除,人権擁護,違法排除の観点の競合

 

 

 

 

 

② 違法収集証拠排除法則の適用

⇒ ①以外であっても,違法収集自白は証拠能力を否定されることがある

典型例

Ⅰ 違法な身体拘束中の自白(無令状で逮捕した場合)

Ⅱ 別件逮捕・拘留中の自白

Ⅲ 被疑者の防御権を侵害して得られた自白(⇒人権擁護説とシンクロ面も)

* 黙秘権の告知を怠った場合(198条2項[9]

 

*ロザール事件(東京高判平成14年9月4日判時1808号144頁)

「本件自白は,違法な捜査手続により獲得された証拠,あるいは,これに由来する証拠ということになる。そして,自白を内容とする供述証拠についても,証拠物の場合と同様,違法収集証拠排除法則を採用できない理由はないから,手続の違法が重大であり,これを証拠とすることが違法捜査抑止の見地から相当でない場合には,証拠能力を否定すべきであると考える。

また,本件においては,憲法38条2項,刑訴法319条1項にいう自白法則の適用の問題もあるが,本件のように手続過程の違法が問題とされる場合には,強制,拷問の有無等の取調方法自体における違法の有無,程度等を個別,具体的に判断するのに先行して,違法収集証拠排除法則の適用の可否を検討し,違法の有無・程度,排除の是非を考える方が,判断基準として明確で妥当であると思われる」

*各学説からの帰結

  不当に長い拘禁 偽計による自白 約束による自白 違法な身体拘束
虚偽排除 排除できる 排除できる 排除できる 即排除は不可
人権擁護 排除できる 排除できる 排除できない 即排除は不可
違法排除 排除できる 排除できる 排除できる 排除できる

⇒ このように考えると,任意性説からの帰結も,おおむね違法排除説に接近することが分かる。なお,違法な身体拘束については,違法収集証拠排除法則を適用すれば足りるから,「即排除は不可」となっても問題は少ない

 

* 自白の任意性のあてはめは,信用性に関する事実も突破口になる

自白の任意性に関する議論は,捜査官と被告人の水掛け論になることが少なくない。そこで弁護人としては,まず信用性に関する事実から攻撃をしてゆくということが考えられる。

すなわち,自白について客観的事実と食い違う点があるから,信用性に乏しいということを強調すると,そこから捜査官が言っていることは虚偽なのではないかという点が推認されることがある。

このように,任意性の検討の中では,信用性に関することは述べられないというわけではないので,信用性がないということを突破口に捜査官は虚偽を述べている,という議論を組み立てることもあり得る(菊池24)

 

* 自白の任意性立証の資料として,「未提出の被告人の供述調書」も利用されてきた。これは,供述経過を立証趣旨としておりその変遷の過程を明らかにするということも行われてきたが,裁判官はこういう任意性の立証の仕方はできないものと考えられる。もっとも,弁護人がどこを争うかを確定し,被告人質問を先行させ捜査官を連れてきて捜査官に言わせるということになる。そこで取り調べ経過一覧表などの客観的な資料や可視化のDVDなどに変わってくると思われる。この点も裁判員裁判で大きく変わっているようである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[自白の任意性が争点となる大型否認事件の類型についての一考察]

1 証拠構造

被告人の犯人性が厳しく争われる大型否認事件においては,決定的な証拠がAの捜査段階における自白のみというケース多い(犯人性の証拠は自白のみ)

* この類型では,自白の任意性が最大の争点となる

自白の任意性あり⇒信用性もあり⇒被告人は犯人!!

自白の任意性なし⇒証拠能力なし⇒被告人は無罪!!

2 プラクティス

① Pが犯罪事実及び重要な情状事実に関する証明予定事実を主張するとともに自白調書を含めた証拠請求をする

② Bは,証拠意見に先立って類型証拠開示を請求することが想定され,P請求証拠である自白調書以外の被告人の供述調書,上申書,被告人の取り調べ状況を録画したDVDなどの開示を受ける。

③ Bは,「任意性を争う」旨の意見を述べる

* その根拠となる事実の日時,相手方,態様などを具体的に主張

④ Pは,任意性立証を余儀なくされるので,被告人が適正な取調べによって自白した経緯など任意性が肯定される具体的な事情を,追加証明予定事実として主張するとともに,これを立証するための証拠を請求

⑤ Bは,検察官の追加した証拠に関する類型証拠開示請求ないし自らの任意性を争う主張に関する主張関連証拠開示請求を行う

⑥ Bは,検察官の追加証拠に対する意見を述べるとともに,任意性を争う主張を根拠づける証拠を請求

* 自白調書の任意性・信用性を審理・判断する場合,当該自白調書の作成時の捜査官と被告人の言動や,被告人が自白する原因となった捜査官の言動が重要な立証命題となる

⇒ これらについて当事者双方の主張を十分に詰めない限り,計画審理不可

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 自白の任意性が争われる場合のターゲット

(1) 一般論(大型否認64)

① 弁護人が主張する取調官の言動などの事情の有無

② 捜査官の適正な取調べ,説得などによって被告人が否認から自白に転じた具体的な経緯

* 任意性肯定のための立証命題である以上,被告人の主張の単なる否定ではなく,取調官の適正な働きかけによって被告人が自白した旨の積極的,具体的な主張であることを要する

③ 捜査段階を通じての被告人に対する取調べの客観的経緯(任意捜査,逮捕の日から起訴に至るまでの取調べの日時,時間,取調官,調書作成の有無,DVDの有無といった外的的・客観的なもの)

* 上記③は,任意性判断の核心的な立証命題ではないが,これに必要な最小限度の前提的な情報である

(2) 具体例の検討

ア 検察官の任意性に関する主張

* 立証対象事実

① 4月11日に任意取調べが始まってから,16日に事実を認める旨の上申書が作成されており,この際に,否認から再自白に至った経緯

② 被告人が否認に転じた後,4月22日に再び自白調書が作成されていることから,この際に,否認から再自白に至った経緯

③ 実質証拠として請求する4月24日付けPSが作成された経緯

* 弁護人の主張する具体的事実

攻撃対象 具体的事実
4月16日の上申書関係 Ⅰ任意捜査の範囲を逸脱した違法な取調べ(連日,長時間の取調べのうえ,行動の自由を厳しく制限され,心身に圧力を加えられた)

Ⅱポリグラフ検査の悪用

Ⅲ上申書の記載内容についてKに誘導

ⅣKによる暴行

4月22日のKS関係 Ⅰ警察官に暴行

Ⅱ妻子を取調べるとの脅迫

Ⅲ執行猶予の約束

4月24日のPS関係 検察官の取調べに先立つ警察官の威迫行為

 

 

 

 

 

 

* 立証手段について

趣旨    
①② 被告人の取調べを担当した警察官の証人尋問請求 PはKから事情聴取し,取調状況について予定書面をBに開示

(316条の14第2項)

取調べ状況の録音・録画をしたDVD PはDVDの内容を追加証明予定事実として主張して証拠請求

 

 

イ 大型否認210の指摘

司法研修所の文献は,本件のように自白調書の任意性が最大の争点となるようなケースでは,裁判員裁判の下では,実質証拠として用いる自白調書を限定して,最終段階の検事調べのPSだけに限定すればよいと指摘する

⇒ つまり,警察段階でどれだけ拷問されても,検察官調べのDVDをみて,検事調べの任意性が確保されていればよいという

* かかる文献の指摘は,にわかに首肯できないばかりか,新たな問題点を指摘しているように思われる。というのも,どれだけ警察段階で任意性を欠く調書が作られていても,検事調べの際に任意性が確保されていればよいというのは,司法の廉潔性からいって多いに問題があるように思われる。もとより,被疑者は,警察と検察の区別すらまともにつかないものが多く,暴行されても,検事が「それは警察のしわざで検察は関係ない」という抗弁を認めるということになるのであろう。こうしてみると,かえって違法捜査を助長しかねない側面があるといわざるを得ない。しかも,警察段階の違法な取調べの影響は遮断されないのをむしろ原則とすべきことからすれば,研修所の文献が,「発想を大胆に転換」といってみても,違法捜査を助長しかねない転換であれば本末転倒というべきであろう。

 

* 大型否認210のイメージ

 

 

      4/22KS             4/24PS

 

 

Kが暴行            Pと和やかに取調べ

⇒4/22KSは実質証拠ではない         ⇒DVD有り!

*任意性を欠くかどうかは,

 「そんなの関係ねえ!」となる     任意性立証はここのみ!

 

 

* DVDに収録された検察官の取調べ状況は,「動かし難い事実」となるから,これだけで任意性立証が終わらせる限度で実質証拠を採用すればよいと主張するが・・・都合がよすぎる!!

4 任意性の立証方法について

(1) 従来[10]

① 「被告人の供述経過」という立証趣旨の下,被告人について取調べの期間を通じて作成されたすべての供述調書を採用して,被告人の供述経過の変遷を検討し,自白調書の提示を受けてその記載内容を考慮して判断

② 捜査段階において,被疑者が自白するに至った動機,心情を記載した供述調書の採用

③ 取調官の証人尋問

(2) 裁判員制度の下での任意性の立証

ア 上記①②は不可

∵① 多数の供述調書は情報量が膨大で公判廷での心証形成が無理

② 供述経過から取調べ状況を推認するという心証形成の方法は理解不可

③ 裁判員にとって,供述経過と罪体立証の区別は期待できず,両者を混同して心証形成するおそれ

イ 上記③の方法によることが基本となる

(ア) 具体的な内容

検察官が証明予定事実として掲げた,弁護人が主張する取調官の言動などの事情の有無及び取調官の適正な取調べによって被告人が自白した具体的な経緯を中心に証言させる

* なお,取調官を証人尋問して「供述経過」を証言させるのはNG!

(イ) プラクティスの問題点

裏付け証拠もないのに,実質的な対立当事者ともいうべき取調官を証人として尋問して,被告人の言っていることは全部うそですと供述させると,結局,水掛け論で終わる可能性

(ウ) 司法研修所の文献の指摘

「平成18年度の司法研修所での研究会においては,任意性について刑訴規則198条の4の趣旨に則って迅速かつ的確に立証してもらう必要があり,そのような立証がされない場合には,これまでのように水掛け論的な証拠調べにいたずらに時間を費やすべきではないという意見が大勢を占めた。

また,平成19年度の研究会においても,明らかに被告人の主張が排斥できる場合を除いて,DVDといった客観的な証拠が提示されなければ,任意性に疑いが残るものとして却下する場面が増えるのではないかとの意見が多数述べられている」「職業裁判官の審理で有罪とされ得たものであっても,裁判員裁判では,検察官が立証責任を果たしたとは評価されず,無罪とされるケースが生じることを考えなければならないことになる」「立証方策としては,取調べ状況の録音・録画が極めて有力な選択肢であることは疑いない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5 取調べの録音・録画の意義とその運用

(1) 問題の所在

検察官は,裁判員裁判における自白調書の任意性については,①取調官の証人尋問に加えて,取調べ状況の録音・録画を活用して,これを立証することが有力な選択肢となると予想される。他方,検察庁は平成18年度から被疑者の取調べの録音・録画の試行を開始している。以下でその判断の仕方を検討する

(2) 裁判官の判断の仕方

司法研修所の文献では,DVD録画がされた部分については,弁護人にも開示されることになるので,「DVDが存在する範囲での取調べ状況は,当事者間で基本的に争いのない事実」であると指摘する。この点について,現在試行されているDVD録画は,読み聞かせ・レビュー方式が多数であるところ,この方式によると,調書の作成が終了した後の読み聞かせとそれに続くレビューを録画したものにすぎないということになる。このようないわば自白に転じた後の「仕上げ」の段階しかDVDには録画されていないことになる。そうすると,研修所の文献では,「否認していた被告人が,捜査官の適正な説得により自白に転じる取調べの場面が終始DVDに収録されていれば,任意性肯定の決定的な証拠となり得る」としているが,逆に言えば,通常は,否認から自白に転じた状況は,現在の読み聞かせ・レビュー方式では,録画されないということなのであるから,DVDは,任意性決定の決定的な証拠となるわけではないということになると思われる。

(3) 証拠としての活用方法

* 活用方法

第1パターン 第2パターン
DVDに収録された事実の存在を前提として,その評価が争われる場合 DVDに収録されていない場面での取調官の働きかけが影響したと主張される場合
・DVDが争点に対する直接証拠

・被告人質問で心情を明らかにする

・取調官の証人尋問までは不要

・DVD以外の立証が必要に

・検察官が警察段階での働きかけを遮断する措置をとっているか

* なお,指宿教授も検察官取調べにおけるDVD録画は最低でも最初から行われる必要があると指摘されている。なぜなら,警察段階での取調べ状況の録音・録画が実現しなければ,警察での取調べの影響が主張される可能性がある。かかる場合に検察官としては,検察官調書が警察官調書と運命共同体となるのを避けるために,警察段階の働きかけの影響を遮断する措置の有無,犯行の核心部分の供述態度,読み聞かせ及び署名指印といった場面がポイントとなる。そして,上記の履践がDVDから明らかになれば,警察官調書と運命共同体論となることを避けることができるわけであるが,逆にいえば,現在のような録画状況では,警察官調書と運命共同体となると考えざるを得ないわけである。正に正鵠を射た見解ということができよう。

* なお,DVDが罪体の実質証拠として請求することも考えられるが,司法研修所の文献は,「任意性の立証手段と位置付けて検討しておく」とするにとどまる。その理由としては,長々とDVDを法廷で流されても困るし,結局,自白調書と変わらないとされており,実質評価して用いるには消極的である

 

6 任意性と信用性のシンクロ

(1) 問題の所在

裁判員裁判においては,任意性の判断権限は裁判官にある(裁判員法6条2項2号)が,裁判官が自白の任意性ありと判断したのに対して,裁判員の多くが自白の任意性がないと判断すると,その自白の信用性の判断のステップにおいて,結局はその自白の信用性は否定されるという方向性になるものと考えられる。したがって,裁判員の理解を得られないような任意性判断は,信用性のステップの中で裁判員に裁判官の判断を覆される可能性が生じることになる。したがって,裁判官は,裁判員の意向を無視して任意性を肯定することは実際上難しいと思われる。

(2) 司法研修所の文献

「DVDがないなど客観的な判断の決め手を欠く場合には,自白の信用性が否定されるという以前に,裁判官の判断として自白の任意性を否定すべき場合があり得ると考えられるのである」

(3) 評価

要するに,これまでの裁判では,自白については,自白の任意性の判断と信用性の判断がうまいように使い分けられていたケースがあり,任意性はあるが,自白の信用性はないというような判断もあり得たところであるが,今後は,このような二枚舌が難しくなるということになる。そうすると,信用性がないような自白は遡って,自白の任意性が否定されるという方向性が志向される可能性があるように思われる。そうだとすれば,例えば,大澤説が理論的に319条の解釈について虚偽排除説を軸にしようとする見解に依拠するのも説得力を帯びるものがあるといえよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3 自白の補強法則(寺崎359,白取357)

1 総説

(1) 定義

補強法則とは,自白を補強する証拠がなければ,仮に自白だけで有罪の心証が得られたとしても有罪認定を禁じる証拠法則のことをいう

(2) 制度趣旨

① 被告人の主観的な自白だけによって,空中楼閣的な事実が犯罪としてでっちあげられる危険を防止する

② 訴追側に,被疑者の取調べだけでなく,客観証拠の収集を促す

* 公判廷の自白に憲法上も補強証拠が要求されるか(有罪答弁・アレインメントの制度を導入するという立法政策を採用できるか)

判例⇒公判廷での自白は任意性・信用性が高いから,憲法上は補強証拠はいらないとする

 

2 補強法則の適格

(1) 定義

補強証拠適格とは,補強証拠となり得る資格をいう

(2) 補強証拠適格の要件

① 当該証拠に証拠能力があること

② 被告人の自白とは独立していること

* 最決昭和32年11月2日刑集11巻12号3047頁

事案:米穀販売業者である被告人が,嫌疑を受ける前に作成していた書面

判旨:未収金関係を備忘のため,…その都度記入したものと認められ,その記載内容は被告人の自白と目すべきものではない

評価:犯罪発覚前に日々記帳していた点で,後の自白とは別個独立と判断

(3) 私的な日記帳は補強証拠となるか(演習284)

● 積極説

∵ 32年判例と同様に,犯罪の嫌疑を受ける前にこれと無関係に記帳

⇒ 捜査における自白偏重の防止は達成!

× 供述に含まれる虚偽の危険に対して,同一人の供述と供述を重ねているだけで,真実性を担保できるか疑問

○ 否定説

⇒ 32年判例の趣旨は,「商業帳簿」という機械的な記載で被告人以外の者でも作成できる内容の書面であることが重視

 

 

 

 

 

 

3 補強の範囲

(1) 問題の所在

自白によって犯罪事実を認定する場合は,どの範囲まで補強証拠があればよいかが問題

* 補強法則の制度趣旨と犯罪事実の証明の実際に即した合理的説明が必要!

 

(2) 判例の実質説

ア 定義

実質説とは,補強を要する事実がどの範囲であるかは重要ではなく,自白の真実性を担保する証拠があればよいとする見解をいう

 

(3) 通説の罪体説

ア 定義

罪体説とは,犯罪の主観的要素に関しては,自白のみで認定しても構わないが,犯罪事実の客観的側面(罪体)については,その全部又は重要な部分について補強証拠が必要であるとする見解をいう

イ 論拠

補強証拠は,自白だけで合理的疑いを超える心証が得られる場合にも必要とされる。そうだとすれば,自白の証明力とは無関係に,一定範囲の事実について一定の証明力を有する補強証拠を要求することが制度の趣旨にかなう

ウ 何を罪体と考えるか

罪体とは,客観的要件事実のことをいう

* 主観的要件事実や犯罪と犯人との結びつきは,「罪体」ではない。そして,補強は,その罪体の全部又は重要な部分について必要

* 「重要な部分」ということは,逆に言えば,客観的要件事実のすべてについては,必ずしも補強は求められていないとなるが,演習279は,典型的には,「被告人が公判でも自白を維持した場合」が想定されているという。たしかに,一般的には,公判廷の自白は信用性が高いといえる。これに対して,「被告人が公判で否認に転じた場合」には,「自白の信用性の慎重な吟味という制度趣旨から,補強証拠を必要とする範囲をより広く客観的要件事実の全体と解すべきではなかろうか」とする[11]

* なお,白取359[12]

(4) 検討

事例①

罪名:盗品等有償譲受罪(刑法256条2項)

証拠:Xの自白+被害届

罪体:「盗品であること(指輪が盗品であること)」,「有償で譲り受けたこと(指輪の買受け)」

通説からの評価:犯罪行為の客体が盗品であることについては,盗難被害届による裏づけがあるものの,犯罪事実の中核部分である買受け行為自体について被害届は関連性がない。したがって,買受部分について補強証拠に欠けているので,Xを有罪にすることはできない

事例②

罪名:業務上横領罪(刑法252条1項)

証拠:Xの自白+会計担当者の証言「当社は,Yに集金を任せておりYが集金の係りであったことは間違いがない。ただ,事件当時の帳簿は地震で紛失しており,当社がXの集金した金銭を受領しているかは記録がなく不明である」

罪体:「自己が委託信任関係に基づいて占有する物であること」,「他人の物であること」,「横領したこと」

通説からの評価:犯罪行為の中核部分といえる「横領したこと」について,会計担当者の証言は,これと積極的な関連性を持つものではないので,補強証拠が欠けていることになる。したがって,通説からは有罪にできない

事例③

罪名:無免許運転の罪

証拠:Aが運転行為をしていたことについての証拠のみ

評価:判例は,運転行為のみならず,「運転免許を受けていなかった事実」についても補強証拠を必要とすると判示[13]

4 補強の程度(範囲の問題と連動する)(池田351)

(1) 罪体説⇒絶対説

絶対説とは,補強証拠自体に独立に一定の証明力を要求する見解をいう

* 補強証拠だけで補強証拠を必要とする範囲の事実を合理的な疑いを生ずる余地がない程度に真実であると証明できるまでの必要はないとしているが,補強証拠だけで事実について一応心証を抱かせる程度の証明力は必要!

(2) 実質説⇒相対説

相対説とは,自白とあいまって,犯罪事実の認定ができる程度の証明力で足りるとする見解をいう

* 判例は,補強証拠がどの範囲の事実について必要かという問題と,補強証拠の証明力はどの程度必要かという問題は区別していない。要するに,自白と補強証拠が相まって犯罪事実を証明する程度で足りるとする

×① 自白自体の証明力以外を前提に独立に補強証拠の証明力を考えるべきであるので,判例の実質説はおかしい(大澤)

② 自白の信用性に下駄を履かせる論理として補強法則が機能するのは不当

③ 刑訴法301条が自白調書の公判廷における取調べに際し,他証拠の取調べに先立つのを禁じている趣旨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* 見せかけの補強証拠

証明力

 

 

補強証拠

 

合理的

な心証            補強証拠⇒見せかけの補強証拠

(たいてい情況証拠)

自白

 

 

自白⇒証明力が不十分!

 

 

 

○     ×

*『×』の場合,自白の真実性を担保するどころか,自白の信用性の低さに下駄を履かせる役割に・・・相対説によると補強法則が誤判を招きかねない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4 共犯者の自白

1 問題の所在

(1) 事例でのイメージ

被告人Xが否認し,共犯者Yは自白する。この点,Xは自白していないから,補強法則が適用される余地はなく,Yの犯行を認めた供述を証拠として有罪にすることができる。他方,Yは,自白しているので,補強法則の適用があるところ,本件では他に証拠がないので,Yは無罪となるのは不都合か

⇒ XについてYの供述だけで有罪にできるのか?

(2) 問題の本質

共犯者自白の危険を,不文の事実認定法則にとどめておくか,補強法則にまで高めるべきか

2 本人の自白と共犯者の自白

(1) 初期の学説の展開

⇒ 団藤VS平野

ア 積極説(団藤博士)

∴ 共犯者の自白は,「本人の自白」に含まれる

∵① 補強法則の趣旨(自白偏重の防止と誤判の防止)

② 消極説による場合の結論の非常識さ

③ 共犯者自白の危険性(他人を巻き込み,責任を転嫁する危険)

イ 消極説(平野博士)

∴ 共犯者の自白は,「本人の自白」に含まれない

∵① 本人の自白は安易に信用される危険があるが,もともと共犯者自白の危険性は認識されており,常に警戒される

② 罪体説を前提とする補強法則では,共犯者の自白の危険に対処できない

③ 共犯者の供述は,反対尋問で信用性がチェックされるので,後は,裁判官の自由心証の問題に委ねられる(自由心証での慎重な評価によるべき)[14]

 

(2) その後の学説の展開

ア 平野説に対する疑問

(ア) 論拠

反対尋問によるチェックの有効性には疑問が持たれる

争点178

「公判廷外の供述が刑訴法321条1項により供述調書として証拠調べされ得ることを考えると,補強証拠不要説のように反対尋問権の行使に頼ることはできず,共犯者の自白の危険性への注意を補強法則にまで高める必要がある」

(イ) 具体例

① 伝聞証拠の場合は,反対尋問をすることができないがどうするのか

② 共犯者自白に含まれる虚偽のチェックは困難であることが多い(大綱において真実に合致していること,犯罪事実を熟知している者により意図的に織り交ぜられた虚偽を見抜けない)

⇒ 自由心証での慎重な評価といっても限界ってもんがあるでしょう!!

イ その後の学説の展開

自由心証主義の内在的制約としての経験則を根拠として,犯罪と被告人との結びつきにも補強証拠を要求(鈴木説)

∵ 共犯者の自白のみで被告人を有罪とすることは経験則違反の疑いがあり,補強経証拠を要求する実質的根拠を合理的心証を要求する318条に求める

⇒ 319条2項ではなく経験則(318条)が根拠というのがポイント!

 

(3) 検討

ア 平野博士

「通常は,被告人が犯人であることについて共犯者の自白を裏付ける他の証拠がない限り,その認定は,自由心証主義に反する不合理なものといわなければならない」

イ 検討

たしかに,補強証拠がないにもかかわらず,共犯者の自白のみで有罪とするのは,自由心証主義に反する。したがって,犯人性の部分については,事実上,補強証拠が必要であることは否定することはできない。しかしながら,例外を一切認めない形で,補強証拠がない限り有罪の心証にたどり着かないというのは,経験則や論理則を過度に一般化しすぎている。したがって,鈴木説は,裁判官による具体的な証拠評価について,合理性を要求する自由心証主義の内在的制約の域を超えているといわざるを得ない

ウ 結論

結局,平野説が妥当(ただし,信用性の評価は慎重にするべき)

* 大澤は,解釈論として,補強証拠の形式的要否に拘泥するよりも,実質的にその評価の合理性が高まるような方策(信用性評価のための注意則の抽出)を探究する方が,その危険性に対処する近道であると指摘する(富山地判平成18年11月21日参照)



[1] 虚偽排除説によれば,その制度趣旨は,正確な事実認定の担保という点にあることになるから,不任意自白であっても,「真実性の裏付けある自白」であれば,証拠能力を認めることには問題がないという解釈になる必要がある。しかるに,そのような裏付けがあるにしても,319条1項の文言との関係では,「ただし,真実性の裏付けがある自白の場合は,この限りではない」という文言はないのであるから,かかる場合でも証拠能力は否定せざるを得ない。そうだとすれば,翻って,虚偽排除説は論証に成功していないのではないかという批判である。

[2] この批判は,黙秘権と自白法則との沿革上の違いを指摘するものである。黙秘権は,法的義務を付加する(例えば,取調べ受忍義務を課す,自白義務を課す)ことを禁じるというものであったのに対して,自白法則は,事実的な強要を禁止するものであるから,両者は概念的に区別をすることができる。したがって,自白法則の根拠に黙秘権を持ち出すことはできないという批判である。

[3] 代表的な人権擁護説は,憲法の解釈に特色があり,憲法38条2項は,憲法38条1項の担保規定と解する。したがって,自白法則は黙秘権を保護するためにあるという解釈を展開している。これに対しては,黙秘権侵害により得られた自白は,38条1項の効果として証拠能力が否定されると解せられる。そうだとすれば,38条2項は,38条1項の確認規定にすぎなくなり独自の意味を失うという批判である(大澤)

[4] 人権擁護説からは,不任意自白の典型例である「約束などの誘引による自白」の証拠能力を否定することの理由付けが上手くできない。というのも,たしかに,約束による自白の場合は,供述者に自白すべき動機を与えるという点で供述の自由に影響を与えるものの,意思決定そのものまで否定するものではないから,人権擁護説からはその排除を基礎付けることはできないという批判である。

[5] 自白獲得手段,すなわち,取調べの方法に着目して違法性判断をするのは,現実には不可能であるという批判である。たしかに,刑訴法には黙秘権の告知を除いて,取調べ方法に関する具体的な準則が存在しない。この点,田宮説は,適法性判断の基準は,「国家機関が守るべき正義・礼譲」にあるとする。これは,捜査機関の行為無価値に着目した判断をしようという試みといえる。しかしながら,被疑者の心理には着目しないので「基準の客観化」とはいえるが,その基準の漠然性の故に,「判断の明確化」には必ずしも成功していない。結局,具体的に法がない行為無価値の側面に着目するのは難しく,結果無価値(法益侵害),すなわち,供述者の権利に対する制約の有無・程度に拠り所を求めざるを得ない。その核心は,供述者の供述の自由にある以上,供述者の心理状態を中心に考えていかざるを得ない。

[6] たしかに,田宮351をみてみても,田宮教授は,アメリカにおける違法収集証拠排除法則が自白にも適用され,自白排除法則と違法収集証拠排除法則との間に混同が生じているという前提の下で,違法排除説を提唱したようである。そうすると,田宮教授の意図は,「違法な取調べに基づく自白」の排除にあったということができるように思われる。この「違法な取調べに基づく自白」については,証拠能力が認められるべきではないというのは,おそらくあまり争いがないということと思われるが,その排除の根拠をどこに求めるかということでは,今日では,違法収集証拠排除法則に求めるわけであるが,田宮説は,これを319条1項に求めたわけである。違法な取調べにより採取された自白の証拠能力を否定するというのは,いわば違法収集証拠排除法則を導入すべきだという主張とイコールであるとも考えられる。だが,他方で,任意性を欠くというカテゴリーもあり得るわけであるが,田宮教授は,任意性の判断について「自白の虚偽性や被告人の意思の抑圧という詳細な事実認定にこだわっているから」と批判的なわけであり,任意説説は,証拠能力の否定という観点からは,おそらくあまり役に立たないという前提で,不任意自白であるか否かの前に,違法自白であるかの判断を先行させ,だいたいそれで足りるという感覚であったと思われる。

[7] 私見は,田宮説の違法排除的な理解に共感するものであるが,その理由は,取調べ上の違法性を指摘して,それを証拠排除に直結させることにより,取調べに対して法的規律を与えようというプラクティスを試みているからである。しかしながら,純粋に,違法収集証拠排除法則を供述証拠に適用してみても,約束自白や誘導による自白の違法が果たして重大であるとはいいにくいところである。そこで,大澤説的な枠組みを採るべき場合においても,以下のように解すべきである。もとより,違法収集証拠排除法則は,「将来の違法捜査抑止の見地」が挙げられているように,政策的な意味合いが強いものであるところ,取調べ過程の違法は,捜査機関において自白獲得のために行われやすく,将来に渡りその発生を抑止する必要が物証よりも強いものと解せられる。したがって,そうした政策的な意味合いを含めれば,違法の重大性の要件の認定は緩やかに行われるべきと解する。この点,白取353は,「黙秘権と人身の自由の侵害が問われる身体拘束中の自白である以上,容易にその重大性は認められよう」とするのも,物的証拠に対する適用のあり方と供述証拠に対する適用のあり方は異なることを前提とするものと考えられ,結局,私見と同趣旨をいうものであり支持できる。なお,証拠物の場合よりも,「かなりドラスティックな」排除を示唆する見解(井上正仁『刑事訴訟における証拠排除』422頁)が存在することにも注意を要する。

[8] 私見は,田宮説の違法排除説の「取調べに対して法的な規律を与える」というプラクティスに賛同している。田宮教授の意図を敷衍すれば,田宮教授の違法収集証拠排除法則の理解は,1950年代から60年代のアメリカの排除法則高揚期のそれを指す。アメリカの高揚期の排除法則の場合は,「違法があれば即排除」という枠組みであった。この点,日本の最高裁が相対的排除法則を採用するのと対照的である。田宮教授の意図は,大阪覚せい剤事件が出される前においては,少なくとも,アメリカの高揚期の排除法則を,「対供述証拠」との関係では導入すべきという趣旨であろう。このことは,田宮教授が違法排除説について「捜査の適正化」と「基準の客観化」という狙いをもったプラクティスであったとすることからも明らかである。とすれば,田宮説が違法の重大性を違法排除説における排除の要件としているとは言いがたい。このような視座からすれば,仮に大澤説を採用すれば,「重大な違法」の場合のみしか自白は排除されないとなりかねず,これを任意性説を前提とする319条1項で代替することもできない。そうだとすれば,田宮教授の意図する捜査の適正も確保しようとするのであれば,供述証拠においては,私見は,そもそも,「重大な違法」の要件をデリートするのが望ましいと考えるが,重大な違法の認定を緩やかに行うというのもあり得る。少なくとも,大澤説的な枠組みを無条件に受け容れると,取調べに対する法的規律をしようという田宮説の試みが水泡に帰することも自覚されてしかるべきものであろう。

[9] 告知は,憲法上の権利とはいえなくても,被疑者の供述を獲得する手続の適正に重要な意味を持つ手続上の権利侵害ということで重大な違法であることを肯定することもできる可能性もある(演習271)。また,被疑者が供述義務があると誤解させられたというような場合には,不告知から黙秘権侵害を推認して,証拠能力を否定するということも考えられる。なお,演習276も,黙秘権の告知は,憲法自体の要請ではないとしても,憲法上の権利の実効化,取調べの適正確保に重要な意味を持つ刑事訴訟法上の手続であるから,その懈怠を排除に結びつけて重大な違法と見ることには,十分な理由があるとする。

[10] 任意性立証についての裁判官の会話:被告人質問と取調官の証人尋問しか証拠方法がないのかという質問に対して,DVDとかはなかったのですけれども必ず証拠調べ請求をするわけではありませんね。本件は裁判員裁判の対象事件ではないので撮っていないようですね。あれも検察の話しですのでこれは警察の話しですから意味がありませんね。したがって,被告人質問と取調捜査官の話しと報告書で取調べの長さなどを認定し,供述の変遷について調べて客観的に争いのない事実を固めておいて,その後に尋問をするという判断をしていたと考えられる。

基本的には,痴漢事件と構造が同じであり第三者証言がないので当事者の証言のみを聞いて判断する他ないという世界ですね。検察官も被告人自体の供述を弾劾しようとしていましたね。検察官も先ほど言っていましたが,暴行や欺罔的なことをいっていましたので,これでは取調官を取調べざるを得ないでしょうということですね。被告人供述を聞いてその通りでもなお任意性を維持できると考えることもできますので,その場合は取調官についての証人尋問はしないということもあります。この点,T裁判官が,「蹴るくらいはいいかな」と述べたが,これからはそのような考え方は維持できないというA裁判官の反論もあった。

[11] 酒巻の主張は示唆に富むおもしろいものといえる。つまり,自白といっても,①捜査段階の自白と②公判廷での自白がある。そして,いわば①と②が相互に補強しあうという意味で,公判廷での自白がある場合には,罪体説による補強の範囲は,客観的構成要件事実の重要な一部分で足りるが,公判廷での自白に欠ける場合は,すべての罪体についてこれを要求すべきということになる。ちなみに,「補強証拠が客観的事実の一部にあれば足りるとされた判例」は,すべて公判廷での自白があったケースであるから,その判例の射程距離を限定してしまうという試みといえる。

[12] なお,白取359は,罪体とは,客観的要件事実に加え,被告人と犯罪との結びつきまで補強証拠が必要であるとしている。その論拠は,「補強法則の誤判防止的役割を重視すれば,犯人と犯罪との結びつきに補強を要求する第3説をとるべきであろう。過去の少なくない誤判事件の経験からしても,そこまで要求しなければ誤判の防止という補強法則の趣旨が貫かれないから」とする。たしかに,白取359の問題意識は正当である。しかし,そもそも,証拠の評価が裁判官の自由な心証に委ねられているからといって,それは恣意による事実認定を許容するものではなく,合理的な論理則に従ったものである必要がある。しかるに,自白以外の証拠がないにもかかわらず,犯人性の認定をするということは,決して合理的な論理則に従っているとはいえない。すなわち,319条2項の制度趣旨は,自由心証主義に対する唯一の例外を定める点にあるところ,突き詰めると,319条2項が機能するのは,「裁判官が合理的な論理則によりXが犯人であるとの心証を形成した場合」に,なお,一定の補強証拠を要求するという点にある。そうだとすれば,そもそも,自白があるという理由のみで,他の証拠もないにもかかわらず,Xを犯人であるという認定をするのは,自由心証主義の問題として許されないのである。したがって,白取359の主張は真に傾聴に値する問題意識を示すものであるが,それを補強法則の解釈論に取り込もうとする試みには,賛成することができない

[13] 覚せい剤取締法違反の使用罪においても,「正当な除外事由がないのに」ということが構成要件とされており,これは無免許の運転の前提となる「運転免許を受けていないのに」という点と理論的には同じ構造となる。この点,判例は前者については,補強証拠なしで自白から正当な除外事由がないことを認定して構わないとしているのに対して,後者については補強証拠が必要であるとしている。考えてみるのに,判例が前提とする自白の真実性を担保すればよいという実質説によれば,免許を受けていないという点にあたるかは,社会的実態として免許を受けている者が多いところから考えると,空中楼閣的なでっちあげがあり得るということになる。これに対して,覚せい剤からすれば,「除外事由がないのに」という要件に該当する可能性は少ないので,この点の補強法則をしなくても空中楼閣的なでっちあげのおそれは少ないといえる。このように両者の違いを説明することができるように思われる。

問題は,罪体説から考えてみると,「法益侵害が何人かの」犯罪行為によるものについて補強証拠が必要ということになる。したがって,罪体説から無免許運転及び覚せい剤取締法の除外事由にはいずれも罪体として補強証拠が必要であるように思われるので,この点についての違いを罪体説から説明することはできないように思われる。

[14] 平野博士の見解は,ある意味で伝聞法則の独特の理解ともシンクロして異彩を放つものである。つまり,平野博士は,伝聞証拠とは,「反対尋問を経ていない証拠」と定義されている。そして,自白については,反対尋問を行うということがあり得ないので,そのバーターとして補強法則が定められているという独特の理解を展開する。したがって,設例でいえば,Xは,Yの自白に対して,Yに反対尋問を行えばよいのであり,したがって,「反対尋問とのバーターで得られるはずの補強法則を適用する必要はない」という論理を展開する。その上で,団藤博士が,非常識と批判する帰結について,Xが有罪となるのは,「反対尋問を経たYの供述」によるのであり,Yが無罪になるのは,「反対尋問を経ていないY自身の自白」によることになる。それゆえ,反対尋問を経ていない自白は証明力が低いのであるから,Yとの関係でYが無罪となるのは,むしろ当然と主張するわけである。ただし,このような「反対尋問ができるから」という点を理論的基礎に据えて正面突破を図ろうとするのはやや無理があるのであろう。そこで,その後,平野説に対しては,鈴木説などの学説が批判を加えるようになったのである。

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