弁護士コラム

刑事訴訟法

那覇簡易裁判所,審査なしで令状発布の杜撰さに驚く。

最近,耳を疑うような出来事に驚くばかりである。

 

パリでのデモ行進について,日曜日のTBSのお昼のニュースでは,「民主主義国家でデモが起こることはあり得ない」などと報道していたが,それは共産主義の間違いではないのだろうか。マクロン政権が導入しようとしていたのは,ヨーロッパでは環境に良いとされているディーゼル燃料に対する課税を強化するものであった。そして,マクロンフランス大統領は,「ガソリンを買うお金がないなら電気自動車を買えば良い」と発言し,マリーアントワネットを彷彿とさせる浅慮ぶりに市民の怒りが爆発したというのが実態である。フランスでは必ずしも議会を通じて意思決定をすることだけがすべてではないと考えられており、デモ行進は日常茶飯事である。

 

私は、毎年、労働者の祭典であるメーデー周辺をパリで過ごしているが,デモ行進に遭遇するのも最初こそ驚いたが、そのうち「ああ、またか」と思うようになる。そして大義名分であった増税について、マクロンは延期に追い込まれた。おそらく人生で初の失敗となったであろうマクロン氏は今何を思い、どこへ向かうのであろうか。

 

そうしたデモ行進を「犯罪」と決めつけたのも、かえってまたフランス市民の怒りを買ってしまったが、税金と刑罰はかつてから国民を虐げる悪しき国王の「道具」であった。そうであるから国民の意思のコントロール下に置く必要があるとされたのである。

 

さて,憲法31条は刑事手続きのデュープロセスを求めたものであるが,日本の憲法ほど刑事訴訟法についての分野に言及が多い憲法も歴史的にめずらしい。これは治安維持法下の刑罰と旧刑事訴訟法下での冤罪のため、新刑事訴訟法の制定が憲法制定までに間に合わなかったためであり、刑事訴訟法上の重要な理念を憲法に書き込まざるを得なかったという面がある。みなさんの記憶に残る冤罪事件も旧刑事訴訟法下の運用が抜けきれなかった昭和中期に集中している。

 

そのような中で,那覇簡易裁判所であろうことか,一件記録を精査しないで,裁判所書記官が無断で逮捕令状を警察官に渡し,逮捕状を執行し同じ書記官とみられる人物が無断で捜索差押令状を渡していたことが発覚した。

 

朝日新聞の報道によるとことの顛末は以下のとおりであり,他の媒体を調べても朝日新聞以上のものはなかったので引用する。

「那覇簡裁の職員が、沖縄県警豊見城署から請求された逮捕状について、裁判官に見せずに発付していたことが30日、簡裁への取材でわかった。裁判官の押印がない逮捕状は無効だが、同署はこの逮捕状をもとに容疑者を逮捕していた。

簡裁と県警によると、簡裁職員は11月13日、女性宅から指輪などを盗んだ窃盗の疑いで同署から逮捕状を請求されて発付。同署は15日に容疑者を逮捕、16日に那覇区検へ送検した。だが、区検が逮捕状に裁判官の押印がないことに気づき、いったん容疑者を釈放して同じ容疑で緊急逮捕したという。

簡裁の職員は11月13日、別の傷害事件で請求があった捜索差し押さえ令状も、裁判官に見せずに発付していたという。」

しかし,実態は一件記録について,「一見」記録と揶揄されるように,たいして検討もせずに,判子を押しているだけの人物が警察の権力の乱用の防波堤になり得るかということこそ問題である。本件も実態は裁判官が全く記録を精査していないことを,押印忘れの書記官のミスと矮小化しようとしているのだろうが,ことは最も基本的な人権である人身の自由にかかわることをここまで軽視するのであるから深刻である。私が修習中に令状担当を見たときも押印は書記官がしていた。実際は押印がされていないところではなく,きちんと審査がなされていないところが本質的な問題である。

たいていの人は,自分は犯罪に関係がないと述べるだろう。しかし,実態はそうとも限らない。キャリア官僚の盗撮や警察官による万引き,検事の児童ポルノ所持,認知症の高齢者の交通事故など,いわば一般的には犯罪とは無縁そうに思える人でも息苦しい社会=過度のクリミネーション化が進み,「1億総前科時代」を迎えようとしている。パリのデモ行進もそうであるが,ハロウィンの渋谷における自動車の転倒事故も一部を特定し立件する方針との報道が出されたが,イベントでの出来事は基本的に民事賠償で済まされる問題であり,警察の出る幕ではない。

しかし,暇なのであろうか。些細なことに目くじらを立てる警察官ばかり増やして,行動の予測可能性や過度のクリミネーション化を招いているからこそ,本当に身体を拘束してまで捜査する必要があるのか,逮捕の必要性,逃亡の恐れ,罪証隠滅の恐れがあるかをしっかりと審査すべきだ。ところが逮捕状が請求されると却下されるのは1パーセント以下といわれている。これでは,裁判所は令状を出す警察官の「下請け」と馬鹿にされても反論の余地はあるまい。

弁護士会も政治的声明ばかりを出すのではなく,本来業務に関わる身体の自由に関わる事柄こそ注力すべきだ。会長声明などを出して抗議をしていくべきであるが,何か裁判所にものをいうのはばつが悪いという空気に弁護士会すら支配されているのは問題といえよう。同じことがマスコミにもいえる。

なぜか自社の論説では日本の刑事司法制度を批判しないのに、カルロス・ゴーン氏をめぐるフランスやイギリスBBCの報道などは多数回引用され、なぜかフランス刑事訴訟法学者が度々新聞のインタビューを受けている。

弁護士会にしてもマスコミにしても何も裁判所にいえず、単に「フランスがこういっています」「BBCがこう報道しています」ではなさけない。基本的な人権感覚が欠如している。

少なくとも那覇簡裁では対象となった窃盗に,本当に逮捕の必要性があるのか,厳密に審査されるべきであるのに緊急逮捕後令状を出して誤魔化してから,不祥事を公表する隠蔽体質では裁判所など全く信頼するに値しないと市民から見放されるであろう。

例えば「大阪地検の最大の敵は大阪府警」という声が検察関係者から漏れ,東京から来た裁判官も「東京地裁では違法収集証拠の主張など全く出ないのに大阪では次々と出るから驚く」とか「今時,警官が被疑者を殴るわけありませんよね」と軽口を叩いた大阪地裁の判事補を今は亡き大阪地裁部総括判事の杉田氏が一喝した話しなどは有名である。弁護士の間でも違法収集証拠の主張につき裁判所が「重大な違法とまではいえない」としたところ,検事が法廷にいた警察官に「セーフ」というジェスチャーをして峻烈な非難を浴びたことがあった。

一方、テレビのインタビューでは大阪市民から「府警なんて最初から信用しとらん」という声が漏れる。判官びいきの大阪らしい反骨精神にあふれている。大阪地検の検事による証拠偽造も「大阪らしい」といえる。

この点に関し,私は法曹資格者ではない簡裁判事が令状を発布する制度はもはや廃止した方が良いと考える。簡裁判事は書記官あがりであるが,民事畑が多いうえ、サラ金の債務名義を出す判子ばかり押していてもまともな人権感覚は身につかないだろう。

簡易裁判所の書記官はサラ金の取り立ての裁判の判子を押すだけで刑事訴訟法や刑法に明るくない。(というか,道路交通法もあやしいだろう。)

日本には多くの法曹資格者がおり刑事訴訟法に明るくない簡易裁判所の書記官をわざわざ定年退職後に簡易裁判所判事として任命する必要性がない。弁護士を刑事令状官のような形で任用すれば足りるのではないか。

実は,私も金沢地方裁判所の逮捕令状を白山警察署が犬山警察署にファックスしてもらい,ファックスで逮捕された違法を追及したことがある。検察官が支部長検事を投入し,あれやこれやと言い訳をしたが,言い訳をしても違法は違法である。一宮の裁判官は重大な違法はない,と述べたが,そもそも身体拘束に関する意識が極めて低いといわざるを得ない。

今回の事件で明らかになったのは,令状について却下率が1パーセント以下という異常な実態と家族などとの面会禁止も警察のいいなりになってその通りにしていること,ほとんどまともな審査はしておらず書記官が書類を作るだけであり本来の憲法が予定している令状の精神などとはほど遠いものである,ということである。

少なくとも当該裁判官について弁明を明らかにしてもらい,分限裁判にかけて罷免すべきであろう。ツイッター判事のつぶやいた内容が妥当かどうかなどというよりも分限裁判の本来の目的はこのような裁判官の非行を裁くためのものである。

審査を放棄していた裁判官の氏名も明らかにせず,書記官が押印をし忘れたミスと国民が騙されて,議論すべきことも議論しないで看過して良い問題とは到底思えない。なお,書記官にすべて責任を押し付けるのであれば懲戒免職は免れないが,責任の押し付け合いは醜い。責任は判事がとるべきものだ。

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