忘れられる権利―逮捕歴・前科等検索結果削除請求
1 最近、インターネット上のプライバシー侵害の最も重要な問題が「忘れられる権利」である。ある意味では、ダイアナ元皇太子妃の最期の言葉が「独りにして欲しい」であったように、自分に関する情報の削除を求める権利といった定義がなされている。
一般的には、「忘れられる権利」というのは、グーグルなどの検索エンジンに対して検索結果を削除するように求める権利として具現化していることが多い。
2 忘れられる権利というのは、いわゆるグーグル事件決定のさいたま地裁の異議審が明らかにした考え方といえる。さいたま地裁平成27年12月22日は、「忘れられる権利」という記述をしたが、第一に,検索エンジンであるから特別視して制約的に解する論拠はないこと、第二に、縷々述べながらも更生を妨げられない権利が侵害されていることを指摘した後で、第三として、更生を妨げられない権利の一般論として、「一度は逮捕歴を報道され社会に知られてしまった犯罪者といえども、人格権として私生活を尊重されるべき権利を有し、更生を妨げられない利益を有するのであるから、犯罪の性質等にもよるが、ある程度の期間が経過した後は過去の犯罪を社会から「忘れられる権利」を有するというべきである。
そして、どのような場合に検索結果から逮捕歴の抹消を求めることができるかについては、公的機関であっても前科に関する情報を一般に提供するような仕組みをとっていないわが国の刑事政策を踏まえつつ、インターネットが広く普及した現代社会においては、ひとたびインターネット上に情報が表示されてしまうと、その情報を抹消し、社会から忘れられることによって平穏な生活を送ることが著しく困難になっていることも、考慮して判断する必要がある。
債権者は、既に罰金刑に処せられて罪を償ってから三年余り経過した過去の児童買春の罪での逮捕歴がインターネット利用者によって簡単に閲覧されるおそれがあり、原決定理由説示のとおり、そのため知人にも逮捕歴を知られ、平穏な社会生活が著しく阻害され、更生を妨げられない利益が侵害されるおそれがあって、その不利益は回復困難かつ重大であると認められ、検索エンジンの公益性を考慮しても、更生を妨げられない利益が社会生活において受忍すべき限度を超えて侵害されていると認められるのである。」としている。要するに、さいたま地裁も「忘れられる権利」を憲法上の権利と位置付けているわけではなく、「更生を妨げられない権利」としてアプローチをしているが新たな権利の萌芽が見えるのは明らかである。
3 さて、「忘れられない権利」というEUの権利まで持ち出している論拠としては、削除請求の相手とコンタクトがとれない場合が少なからずあるからである。このような中で、エゴサーチをした結果、1ページ目、2ページ目に誹謗中傷サイトがあることがつらいという声の高まりがあったのである。そこで検索エンジン、いわばグーグルに対する削除請求を選択したいという気持ちは理解できるものである。
では、検索エンジンであるグーグルから削除してもらうにはどのような規範が妥当なのか。
4 なるほど,名誉又はプライバシーに基づく削除請求権については,「表現者」ではなく「媒介者」との考え方もあったが,(1)北方ジャーナル事件大法廷判決(最大判昭和61・6・11民集40巻4号872頁,判タ605号42頁),(2)ノンフィクション「逆転」事件判決(最三小判平成6・2・8民集48巻2号149頁)等出版メディアの領域で集積されてきた判例法理の判断枠組みに基づいた判断をした裁判例が増えているにある。逆転事件判決は、グーグル決定にも大きな影響を与えているだろう。つまり、引くと、「要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。」とされている。
もっとも,比較衡量論の枠組みを採用する裁判例の中でも,更に2つの枠組みに分かれる。
第1に,比較衡量の結果,プライバシーに属する事実を公表されない利益が優越するとされる場合には,原則として削除請求権を肯定するというものがある。最近のものとして,東京高決平成29・1・12公刊物未登載(暴走族所属歴)や,大阪高判平成27・2・18公刊物未登載(迷惑防止条例違反〔盗撮〕で執行猶予付き懲役刑を受けた前科等)がある。
第2に,「石に泳ぐ魚」事件の控訴審判決である東京高判平成13・2・15判タ1061号289頁と同様に,比較衡量に当たり,被害の明白性,重大性や回復困難性等をも考慮要素として加えるものがある。本件の原決定はこの類型の一種であり,同様の判断枠組みを採った最近のものとして,東京高判平成26・1・15公刊物未登載(上記東京高判平成25・10・30と同じ団体への所属歴)等がある。
このような検索エンジンの情報処理手順は,検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った検索結果を得ることができるように設計作成されたものであることに鑑みると,検索事業者自身の表現行為という側面があることを否定し難いところであり,人格的な権利利益と検索事業者の表現行為の制約との調整が必要となる。また,インターネットの利用者がある程度限定されていた時代であればともかく,検索事業者による検索結果の提供は,現代社会におけるインターネット上の情報流通基盤として,一層大きな役割を果たすようにな
そして,検索事業者の媒介者論を採らずに印刷メディアの伝統的な法理を出発点とするにしても,「石に泳ぐ魚」事件の上告審判決である最三小判平成14・9・24集民207号243頁,判タ1106号72頁は,控訴審が差止めを認めた結論を「違法でない」と判示したにとどまり,控訴審の示した差止めの要件に関する法理を積極的に是認したといえるものではない上,原決定のように,被害の明白性,重大性や回復困難性にとどまらず,検索サービスの性格や重要性等も考慮要素として取り込む判断枠組みを採ることは,人格的な権利利益の保護範囲を事実上切り下げることになることが懸念される。
本決定は,以上のような点を踏まえ,印刷メディアの伝統的な法理に沿った比較衡量の判断枠組みを基本としつつ,削除の可否に関する判断が微妙な場合における安易な検索結果の削除は認められるべきではないという観点から,プライバシーに属する事実を公表されない利益の優越が「明らか」なことを実体的な要件として示したものと思われることに照らすと、要件を著しく加重するものとは考えられない。