座間市殺人事件、報道被害を招かないように。
神奈川県座間市のアパートで発見された遺体9人の身元がすべて特定され、テレビや新聞が一斉に「顔写真付き」で報じ始めた。同時に、こうした報道にネット上では違和感が出ている。
被害者の多くは自殺志願者という言葉とともに伝えられてきた。遺体は解体された状態で見つかった。犯罪史上異例のセンシティブな事件という受け止める必要がある。
まず、犯人側の問題である。犯人は、男女9人を殺害(又は同意殺人、嘱託殺人)をした可能性をもたれている。これは、解体など殺人後の処理について論理的思考ができておらず幼児性がみられるものの、呼び出し方が狡猾などに照らすと、秩序型のシリアルキラーとみて良いだろう。
秩序型には、幻想型、使命志向型、快楽型、支配・管理志向型がある。本件では、本件は、支配・管理志向型、つまり、被害者の生死をコントロールすることで満足を得ようとして、このときに性的要素が存在することであるが、主な動機は無力な被害者に対する異常なまでの支配である、という見立てができる。
結論からいうと、新聞を拝見しても、表面的な評判情報のみであり、自殺につながりかねない情報を補足している新聞はほとんどない。ある意味では無力な被害者なのであるから、アクティブで誰からも好かれる、ということもない、と思われる。
しかし、死亡してまで、晒し者にするというのは、おそらく死者の意向にも沿っていないことが明らかであろう。全国紙が顔写真を載せたのは死者の名誉にかかわる問題として考える機会にしたい。
現在、こうした犯罪被害者ないし遺族に対するメディアスクラムによる名誉毀損は、遺族からの訴訟がない限り野放しにされている。しかし、偉そうに社説で論説を掲げるのであれば、住所など4情報を除いてプライバシーの情報を流すことについては、極めて問題だ。
むしろ、なぜ、シリアルキラーが生じたのか、そちらの方が社会の正当な関心事ではないか。いずれにしても、報道倫理に即した被害者に対する報道を求め、訴訟が提起されるまでほおっておけばよいという考え方をするならば、報道腕章を外すべきであろう。