「家庭の法」に対する期待
私が、立命館大学大学院にいるころ、二宮周平先生のもとで、様々な離婚・相続についての理論をみました。そして、離婚における破たん主義への移行、こどもを主体的な人格者としてその権利を認めること、高齢者の人権擁護の必要性、つまり後見の必要のみならず、少年付添など少年の人権擁護など、家庭内の権利の実現のために活動してまいりました。
家事事件は、一定の判断が終わりという民事司法作用とは異なるところがあります。調査官の過度な期待も問題ではありますが、裁判官、市民の権利を擁護することを使命とする弁護士がそれぞれその役割を果たす必要があり、本来的には心理カウンセラー、心理学、福祉家などとの架橋が今後、家庭の法に残された課題ではないかと考えられます。
特に、家庭の法については、離婚事件、こどもの事件などは、プロブレムソリューションというよりも、寄りそうという気持ちも重要で、民事裁断作用だけでの問題の解決はできません。
第三者の冷静な目として代理人がいるものの、当事者の気持ちが無視されるということはいけません。家庭裁判所で代理人活動をすることができるのは弁護士だけです。当事務所におきましても、離婚、相続に特化し多くの事件を担当することにより、そのノウハウの蓄積を図っているところでございます。
懸念されるのは、家事審判法と家事事件手続法の違いです。やはり旧法下の運用がいまだ残っているように思いますが、提出された証拠に基づき、法や経験則に則った説得力のある審判等が出されてはじめて家庭裁判所に対する市民の司法に対する信頼が維持されると考えられます。
もちろん弁護士代理により望む結果が得られる場合もありますが、敗訴の場合であっても弁護士から当事者に適用される法律の考え方が説明されることによって、「受容」をもたらすことができるという効果があるものと考えられます。したがって、裁判官は、在野を卑下することなく、裁判の寄与者と位置づけることは当然のことだといわざるを得ません。
また、忘れがちな「子の最善の利益」や「中長期的視点」になって、当事者の利益を的確に主張していることが大事ではないかと考えられます。