弁護士コラム

理念

つらいなら学校にいくなー前川前文部科学事務次官

やはり前川氏は、内心に忠実に、良心に忠実に行動している。これを陥れた読売新聞の行動は厳しく批判されるべきである。

 

MSNインターネットニュースによれば、前川氏は、

 

「日本中の、学校に行きたくない子供に言いたい。死にたくなるぐらいの気持ちがあるのなら絶対に学校に行くな!」と述べたのだという。

 

前川氏はこう続けた。

「『学校はどうしても行かないといけない所』という強迫観念が日本中を未だに覆っている。これをいかになくすのかが大事です。“学校に行かない”キャンペーンをしたいぐらいです。これから2学期が始まります。(夏休み明けが)本当に危ないのです」

 

この点は、同意するところで、ひきこもりになることを恐れるあまり根本的問題解決が何もはかられないまま、いわば強要として学校にいかせて、学校内でひきこもる「社会的ひきこもり」という現象もある。なんでも引っ張り出せばよいという問題ではなく、全く当職も前川氏の意見に同調したい。

 

前川氏は、「死にたいぐらい学校に行くのが嫌だ」とか、「またいじめられてしまう」とか、ものすごく辛い思いをしながら学校に行っている子供は多いわけですよね。いじめによる自殺は後を絶たない。学校に行って、死にたくなるくらいの思いをするのなら、絶対に学校に行くべきではない、とも述べる。

 

この点、学校に行って死んでしまって学校を訴える親もいるが、まずは教育の主体は親であることを自覚すべきである。そのうえで、学校にいかせるかどうかは総合判断であり、学校にいって自殺をしてしまったら、輝かしい未来もある。たいてい小学校や高校などでは早咲きのおませさんが主導権を握るものだ。しかし、「大器晩成」という言葉もある。早い段階で自殺をするくらいであれば、フリースクールや通信制の高校など、いろいろ方法はある。私の前の事務所に高校を挫折し、高校にはいかず、現在の高校卒業認定資格試験に合格して京都大学に行き弁護士になった人がいた。道は学校だけではないことの証拠といえるのではないか。その方は過去は多く語らない。自己イメージが大人になると大事になるからで、きちんと語る前川さんのような人は貴重な存在といえるだろう。

氏はこのようにもいう。「自分の命が絶対に大事なのであって、命よりも学校に行くことを優先する考え方はまったく馬鹿げています。義務教育の「義務」というのは、親のほうの義務なのです。憲法第26条第二項、「すべての国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」とあります。」として、こどもはただ学習権という権利があるという、極めて基本的な憲法解釈を示しているが、現実と憲法を無視した権利と義務とはき違え、同調圧力に苦しんでいるこどもは多い。

 

私は、ミルの危害原理を指して、「人に迷惑をかけなければ全部自由」という言葉に救われたものだ。学校にいくのも別に迷惑はかけるわけではない。もっと心を気楽にしたい。憲法論はともかく、学習権を教育を受ける義務にすり替えることは許されないし、むしろ、それはロボットのような教育ではない。フランスでは小学校の人数はひとクラス12名とフランスデューが報道で伝え、新学期がスタートしたとしている。それぞれの実情にあった教育でマスプロなど全くの無意味である。そしてマスプロには「教室の女王」「教師によるわいせつ」など問題も多い。

 

氏は、その学習権は、学校に行かなければ満たされないのかというと、そんなことはない。学校以外にも方法がある。だからフリースクールが存在しているし、フリースクールで学んで立派な社会人になった人もたくさんいる。学校がすべてではない。私も中学や高校は大学の講義形式をとる予備校に救われたものだ。

 

そして、ところかわれば人も変わる。立命館にいったとき学校ってこんな楽しいんだ、と初めて思ったのだ。私は、立命は、望んで入った人は多くないかもしれないけど立命は良い学校です、と説明しています。

私と前川氏が同じ想いを共有するのは、「学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない。「何か悪いことをしているのではないか」とかという気持ちを抱く」、こういう風潮を失くすことであろう。

 

前川氏の考えは、文科省の中でもかなり異端というが、むしろ、これがスタンダードになっていくのが欧米の潮流ではないか。ただ、いつでも学びなおしができる機会は大事だ。夜間中学や夜間高校的なものは、もっと公共が準備をすべきものではないか。日本の人口から考えると、大器晩成型の人にも多くのチャンスを与える目的に沿った手段を提示すべきである。

laquo;

関連コラム