弁護士コラム

理念

君たちはどう生きるか―指導死

事件を聴いたとき、体罰を奨励してきた過去の小学校や中学校を思い出した。「指導死」-そこには責任がないという意味が織り込まれているが、まるでやっていることはアウシュビッツの収容所と同じだ。子どもたちの可能性を伸ばすべき学校が、逆に未来を奪う。そんな過ちを、幾多にわたり繰り返し、ついには潰える日はくるのだろうか。

教師のいきすぎた指導が生徒を死に追いやる。関係者はそれを「指導死」と呼ぶが、私は、「指導を藉口したただの殺人」と呼んだ方がしっくりくる。

福井県の中学校で今年3月、2年生の男子生徒が自殺した。たしかに宿題の提出や生徒会活動の準備の遅れを、何度も強く叱られた末のことだった。しかし、宿題の提出や生徒会活動の準備の遅れには背後事情があるものだ。担任として、あるいは、指導官として、必要な情報を収集した上でのことなのだろうか。

有識者による調査報告書を読むと、学校側の対応には明らかに大きな問題があった。

周囲が身震いするほど大声でどなる。副会長としてがんばっていた生徒会活動を「辞めてもいいよ」と突き放す。担任と副担任の双方が叱責(しっせき)一辺倒だったというが、励まし役がいれば今回の事件が起こらなかったわけではなく物事の本質ではない。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ。山本五十六の言葉である。福井県の中学校は軍隊以下だったというしかない。

生徒は逃げ場を失った。どれだけ涙があふれ涙がこぼれ精神的に追い詰められたか、手にとるようにわかる。また、相談相手であるべき担任が「敵」であることの無力感にさいなまれただろう。

学校の安全配慮義務―いわばリスク管理構築態勢はいつになったらできあがるのだろうか。それが問題である。愛知県では、わいせつ行為を繰り返す教員の前科も調べず教員になり、多くの男女の生徒がわいせつ被害に遭った。

たしかに教員は職権は独立しているといわれている。管理職や同僚の教員は、うすうす問題に気づきながらも口は挟みにくい。自ら進んで解決に動かない構造的問題が顕在化してきた。これまでは各教員が情報を隠し合っていたが今後は、要諦の情報は共有するシステムも必要だ。

追いつめられた生徒が過呼吸状態等の身体反応を引き起こしたときは、事実の調査を入れる必要がありその態勢が現在ない。生徒になっても、「早退したい」と保健室を訪ねても、校長らに報告は届かなかった。本来最後の砦となるべき保健室も見放した。保健教員も失格だと断じざるを得ない。

生徒が身を置いていたのは、教室という名の収容所だったというほかない。

しかし、私も愛知県を相手に学校での問題で裁判をしているが、守秘義務とかプライバシーとかを盾にいまだ公表をせず、挙句、弁護士会で私に対して人格攻撃をしてくる始末だ。

本人に事実を確かめたり、言い分を聞いたりする手続きを踏まない。長い時間拘束する。複数で取り囲んで問い詰める。こどもに対しての事情の聴き方として適切だとは思われない。

大半は、暴力と身体ではなく言葉による心への暴力を巧みに織り交ざる卑劣な手口だ。それは、教師ならだれでも加害者になりうることを物語る。

各教育委員会は教員研修などを通じて、他の学校や地域にも事例を周知し、教訓の共有を図るべきだが、アルバイトの講師が多すぎるのではないか。学校自体が「軽く」なっていることを否定することができない。

その際、遺族の理解を得る必要があるのは言うまでもない。調査報告書には、通常、被害生徒の名誉やプライバシーにかかわる要素が含まれる。遺族の声にしっかり耳を傾け、信頼関係を築くことが不可欠だ。

文部科学省は、いじめを始めとする様々な問題に対応するため、スクールロイヤー(学校弁護士)の導入を検討している。そもそも、教育は市民社会が行うべきことを国家へ信託したものであるから、その監視は市民の代表者で行うべきであるが、PTA活動での監視は負担が重過ぎる。公費を使って派遣することもやむを得ないだろう。

弁護士たちも矜持をみせるべきであり、単に仕事が増えると喜ぶのではなく、何を問われているのかあいまいなまま、スクールロイヤーと呼ばれることの危険性だ。その役割は詰められなければ、隠ぺいに走る教育委員会のピエロにされるだけである。学校には顧問弁護士がいる。しかし、スクールロイヤーは子の最善の利益の側に立つ組織的役割がなければならないと考える。監査役的地位というのはそういうものである。

求められるのは、こどもたちを守ることだ。基本的に、大人対こどもの争いになって行き詰った場合の突破口とされるのが、「指導」なのだろう。たしかにモンスターペアレントなど様々な問題があるが総合的な役割は結局、学校の管理体制をチェックすることができない。家庭・地域と学校現場とを結ぶ架け橋としての役割はPTAが担うものであり、スクールロイヤーは、教員のチェックとなるだろう。生徒が100人いれば100の課題がある。100の色がある。課題に迫り、それに基づいて、最良の解決策を探ること、それは、教員、PTA、両親、スクールロイヤーの協同から生まれるのではないか。右からでも左からでも上からでもなく、下からの生徒自治による民主的な学校運営が望まれる。

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