弁護士コラム

刑事訴訟法

捜査総論―警察比例原則

捜査を行う場合は、捜査の必要性と失われる利益の権衡が保たれていなければいけません。

 

このバランシングの取り方は様々で学者によっても異なります。ここでは、捜査については強制主義法定主義や任意捜査の限界についてコメントします。

 

第2編 捜査総論

第1 捜査の目的

1 189条2項

(1) 犯人の発見

(2) 証拠の収集

ア 犯人の解明

誰がその犯罪の犯人であるかという視点から,犯人と特定人とのつながりを求めて資料収集が行われる

イ 犯罪内容の解明

どのような犯罪が起きたということであるから,具体的にどのようなことが行われたのかという事実関係の解明が,どの刑罰法規に抵触するのかという法的な当てはめを意識しながらなされる

* 法的なあてはめ

① 飲食店のチェーン店でチーフの肩書きで働くXは,店の売上金を自分の借金返済のために費消してしまった。Xにおいて,かかる売上金の占有が認められるかによって,業務上横領(253条)か窃盗(235条)か区別される

② Xが自転車置場に置かれたダンボール箱に火をつけたが,ダンボールのみが燃えた。かかる場合は,公共の危険の有無によって,建造物等以外放火(110条)か,器物損壊(261条)かに区別される

⇒ ある事実の有無によって異なった犯罪となる可能性があるため資料収集!

 

第2 捜査機関

1 捜査機関の種類

(1) 司法警察職員

司法警察職員とは,第1次的な捜査を担当する警察官をいう(189条2項)

⇒ 捜査を行う法律的資格をいい,官名でも職名でもない

(2) 検察官・検察事務官

ア 検察官

検察官とは,検事総長,次長検事,検事長,検事,副検事の5つの官名の総称をいう(検察3条)

イ 検察事務官

検察事務官とは,検察官直属の部下をいい,上司の補助機関として検察庁の事務をつかさどり,検察官を補佐し,または検察官の指揮を受けて捜査を行う(191条2項)

 

2 司法警察職員と検察官

(1) 協力関係

検察官と司法警察職員とは各々独立の捜査機関

⇒ 両者は捜査に関し,互いに協力しなければならない(192条)

(2) 検察官の指示・指揮権

ア 一般的指示(193条1項)

検察官は,その管轄区域により司法警察職員に対して,捜査に必要な一般的指示をすることができる

⇒ 公訴の遂行という観点から捜査を適正化するための一般的準則という形式

イ 一般的指揮(193条2項)

検察官は,自ら捜査を行う場合に,その管轄区域により司法警察職員一般に対して,具体的操作について協力を求めるために一般的指揮ができる

⇒ 捜査の方針や計画を立てて捜査協力を求める

ウ 具体的指揮(193条3項)

検察官が第一次的な捜査機関として捜査を行うときには,司法警察職員を指揮して捜査の補助をさせることができる

⇒ 検察官が現に独自捜査を行っている場合に特定の司法警察職員に対して行使される

*『その管轄区域により』との限定なし

(3) 検察官と捜査

ア 検察官の『公判専従論』

公判専従論とは,検察官は捜査を警察にまかせて公判維持に専念すればよいという考え方をいう

∵ 戦前は,検察が捜査機関であり警察は補助機関にすぎなかったが,戦後,警察が第1次捜査権を持つようになり,検察は補充的な捜査権を持つにすぎなくなった。これは,検察官が捜査機関から公訴追行機関に変わったと評価することができるので,これを理論的に徹底すべき

イ 検察官捜査の必要性

検察官は,警察の捜査過程を適正手続の観点からチェックする責務

 

 

 

 

第3 強制捜査と任意捜査

1 刑訴法197条1項

(1) 任意捜査の一般的根拠規定

捜査機関は,捜査の目的を達するために必要な取調べ(=捜査)をすることができる

⇒ 捜査機関は特別の規定がなくてもその判断と裁量でしかるべき捜査手段をとることができる

(2) 強制処分法定主義

ア 定義

強制処分法定主義とは,刑訴法に特別の根拠規定がなければ,強制処分をすることができないという原則をいう(197条1項ただし書き)[1]

∵ 民主的コントロールと自由主義的コントロール

⇒ 憲法31条の手続法定主義を受けた規定!!

イ 強制処分法定主義からの帰結

① 明文の根拠なく性質上強制の処分と評価し得る処分を実行した場合

⇒ 直ちに刑訴法上違法!!

典型例 捜査機関が適法に発付された捜索差押許可状による捜索の実行中に,被疑事実とは関連性はないが,別の犯罪の証拠であることが一見明白な物を発見したので,その隠滅を防ぎ緊急に保全するためこれを差し押さえた

⇒ 『緊急差押え』の要件・手続を定めた特別の根拠規定は現行刑訴法のどこにも存在しないので,それは当然違法な差押え[2]

② 裁判所が強制処分の要件を新たに定立すると異ならない判断をすること

⇒ 憲法31条により禁止されている!!

* 刑訴法規の類推解釈は強制処分法定主義に反し許されない!!

ウ 強制処分に対する規律

令状主義に結び付けられている

(3) 任意捜査の原則

任意捜査の原則とは,捜査は原則として任意捜査の方法で行われ,強制捜査は例外とする原則をいう(∵ 条文の位置づけ)

2 強制捜査の意義

(1) 問題の所在

ア 伝統的理解

強制処分とは,物理的強制力を行使したり,法的に義務を課すような手段を用いることをいう

∵ 同意なしの任意捜査もあり得るので,従来,強制処分と任意処分の限界は,有形力の行使の有無によるとされる

イ 問題点

① 物理力を伴いさえしなければ任意捜査であるので捜査官の自由でよいか

② 有形力を伴っても強制捜査とはいえないものが存在

* 通信傍受や写真撮影は物理力を使わないが警察の一存で行うのは疑問

⇒ 新しい捜査手法は,個々の捜査手法ごとに刑訴の基本理念から限界を分析

(2) 最高裁決定(最決昭和51年3月16日刑集30巻2号187頁)

強制手段とは,個人の意思を制圧し,身体,住居,財産などに制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段をいう

(3) 検討

ア 基本的視点

強制処分に対する厳格な統制を考慮しつつ,他方で多様多彩な捜査手段の性質に即し,国家機関の侵害的な作用を適切・合理的に統制する方策をどのように用意しておくか

⇒ 権利利益の性質と意に反するかがメルクマールとなる[3]

* 上記の視点によれば,任意捜査にも統制が必要なことを示唆している

イ 権利・利益の制約と強制処分

(ア) 意思の制圧と人権制約

① 重要な権利・自由・利益を制約すること

従来,身体の自由,住居の平穏,プライバシー,財産の支配管理などのファンダメンタルな人権を制約する場合には,物理力・有形力を伴うものが多かったにすぎない

② 対象者の意思に反していること

(イ) 刑訴法222条の2(盗聴法の規定)

物理的・有形力の行使も法的義務の付加もない通信傍受について,『強制処分』と位置付けている[4]

(ウ) 制約される権利・利益の重要性

例えば,有形力が行使された場合には,国民は何らかの権利,自由,利益の制約を受ける。しかしながら,それらの利益にはさまざまな質,程度がある。また,強制処分にあたると197条1項以外に明文の根拠がないと行い得ないという重大な効果が生じる

⇒ 厳格な要件で保護するに値する重要な権利利益の制約に限られる!![5]

 

*強制処分と任意処分のイメージ

 権利・利益の制約大                  相当性

                            のライン

 

要件を具備しない        要件が具備された

強制捜査⇒×違法!![6]      強制捜査⇒○適法!!

 

 

相当でない任意捜査  相当な任意捜査

⇒×違法!!     ⇒○適法!!

承諾なし

 

                            捜査の必要性大

承諾あり 『純粋に任意』の領域(承諾留置などが含まれる)

*大澤はこの領域は比例原則を適用するには疑問があるとする[7]

3 任意捜査の限界

(1) 問題の所在

ア 任意捜査

任意捜査とは,捜査機関限りの判断と裁量により実行可能な,捜査目的達成のため必要と認められる活動全般をいう

イ 問題の所在

任意捜査は法益侵害を伴う性質の活動であるから,すべて適法とはいえない。対象者に対する法益の侵害または侵害の危険を伴う以上は,そのような侵害が捜査目的達成のために必要性の間で合理的な権衡を保っている必要!!

∵ 対象者に対する権利・利益の侵害・制約を伴う国家機関の作用一般についてあてはまる比例原則の現れ

(2) 最高裁決定

任意捜査における有形力の行使は,「強制手段」,すなわち,個人の意思を制圧し,身体,住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段に至らない限り,必要性,緊急性なども考慮したうえで,具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される

⇒ 任意捜査を直ちに適法とするのではなく,比例原則で個別に適否を検討し法的な統制を及ぼそうとする!!

(3) 任意捜査の相当性

ア 判断の際に利益衡量

(ア) 大きな視点

任意捜査とは,第一次的には捜査機関限りの判断と裁量で実施することができるので,それが限界を超えたかどうかは,具体的事案の必要性・緊急性と侵害される法益との衡量の結果合理的均衡を保っており相当といえるか

(イ) 注意的な視点

① 当該手段方法により対象者の被った法益侵害の性質・程度を具体的検討

⇒ 「強制の処分」と評価される性質・程度に至っていないか[8]

∵ 強制の処分に至っていると任意捜査の判断枠組みから外れるので

② 犯罪の性質,重大性

⇒ 犯罪の性質や重大性以外に,Ⅰその刑罰法令の保護法益の性質・価値,  Ⅱ嫌疑の程度―も重大か否かも基準[9]

③ 個別具体的な捜査目的の達成にとって,用いられた手段方法が必要であったか,そのような手段をとらなければならない緊急性がどの程度か検討

* 以上の①から③を考慮し,権衡が維持されていると評価される場合を「相当」な場合という[10]

イ 注意点

相当性の判断は個別事案により多様であるから,安易な一般化は許されない

⇒ 51年判例から,「対象者の腕をつかむ」という程度なら有形力の行使として適法と考えるのは誤り[11]

* ハード・ケースは,たいてい捜査機関に緊急の必要性があるので,必要性・緊急性の要素を重視するのは相当でない

 

(4) 令状主義の例外と『相当でない任意捜査』

判例は,強制処分,相当な任意捜査,相当でない任意捜査という3分類をとっている。「相当でない任意捜査」というカテゴリーを設けたために,非強制処分(=任意)の領域が拡大し,令状主義の要請が妥当する領域が狭くなる!![12]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



[1] 強制処分法定主義の中核的意義は,国民の重要な権利・自由を侵害・制約する強制の処分については,国民代表である国会の制定する法により,処分の内容,要件,手続が定立されていなければならない,とする点にある。

[2] 田宮104は,「この場合はアメリカのプレイン・ビューの法理を採用する余地がないわけではない」と指摘し,その要件としては,「①適法な職務執行中に,②偶然の事情で,③明白な犯罪関連物件を発見し,④それ以上の捜索を要せず直ちに差押えが可能」とされている。たしかに,田宮説は,「あたらしい強制処分説」に立っている。すなわち,197条1項ただし書きにいう『強制処分』とは,伝統的な物理的有形力を行使するものと理解し,それ以外は197条1項本文を作用法上の根拠としそれにより民主的コントロールは満足し,ただ,憲法の令状主義の要請に基づいて合憲補充解釈をしなければならないとしているものと考えられる。したがって,田宮説は憲法の解釈を述べたものではなく(反対,法教283号61頁),緊急差押えも『刑訴法上』適法とする余地があるということになる。

[3] 法教284号68頁は,「たとえ,有形力・物理力の行使を伴わなくても,対象者の意に反して,重要な権利・自由・利益を侵害・制約すると評価される手段であれば,それは『強制』の性質を有すると判断すべき」としている。

[4] かつて通信傍受については,物理力・有形力基準の観点からこれを任意捜査を見る見解もあった。しかしながら,通信傍受法制定の前提として新設された刑訴法の規定も,通信傍受の法的性質が「強制の処分」としており,実定法上も通信傍受が強制処分であることが確認されている(法教284号68頁)

[5] 寺崎63は,「ある処分類型が強制処分法定主義と令状主義によって規制されなければならないほど,類型的に人権侵害の蓋然性が高いと評価されたとき,その処分類型は強制処分だと判断される」とする。

[6] 寺崎54はこの領域が存在することを繰り返し強調する。すなわち,相当でない強制処分も令状さえあれば許されるかのような誤解を招くとする。たしかに,強制処分は強制処分法定主義の要請を受けて,「相当性」の要件が実定化されている。したがって,強制処分について相当性を問題にすることは少ないが,強制採尿の場合,いかなる令状が必要かという手続的な問題ではなく,むしろ,重大な人権侵害を伴い相当性を欠くのでもとより強制処分としても許されないと解すべきではないかという点の争いが重要であるということを理解しておかなければならない。

[7] 大澤は,「任意取調べの限界」の論点について比例原則でバランシングを採る高輪グリーン・マンション事件を批判する。すなわち,大澤は,任意同行については,判例のような3分説的な理解は妥当ではなく,2分説的に理解するのが相当であるとする。なぜなら,所持品検査の場合は利益状況として,人身の自由と比較して権利侵害の程度が低いプライバシー権の制約にとどまるので,「強制に至らない程度の所持品検査」というカテゴリーを想定することができるのに対して,任意取調べの限界については,被侵害利益は「人身の利益」という極めて重要な権利である。そうすると,「強制に至らない程度の任意同行・任意取調べ」という領域を認めるわけにはいかないと考えられる。したがって,高輪グリーン・マンション事件については,「承諾があったか否か」という規範を定立し,その規範を満たすかという観点から判断されるべきとする。酒巻や大澤は,所持品検査については,判例と同様に3分説を採るが,任意取調べの限界という論点では2分説を採っているという点に注意が必要である。

しかしながら,そのように解すると,もう一つ問題が生じる。すなわち,「任意の同意があった場合に警察の取調べを規律することはできないのか」という点である。たしかに,大澤の図によると,相当性という比例原則でバランシングを採る領域は,「承諾がない」という軸の部分に限っているわけであるから,なぜ承諾ありの部分で比例原則が持ち込まれなければならないのかという批判とすれば首肯できる疑問といえよう。しかしながら,理論的にそこまで「純粋な任意」を強調してよいか私見は疑問と言わねばならないが,大澤は「純粋な任意」といえない場合は,軸が「承諾がない」に上がるだけと反論するが,ならば,ほとんど純粋な任意といえないケースばかりなのだから,やはり判例は相当とも考えることは可能である。

もっとも,大澤は承諾がある場合もすべての任意取調べが許されると考えているわけではなく,その捜査官が被疑者の承諾を受ける過程において働きかけが異常である場合には,例外的に違法になる場合があると解すべきと主張しているが,まったく支持がなく,一人説の状態であるという。なお,刑訴法における考えの主流は,承諾がないという場合に被疑者の利益と捜査の必要性の利益を調和させるという枠組みのうえに成り立っているので,承諾があるという場合は,比例原則を適用することは難しいという。この点,およそ公権力の行使は必要かつ相当という枠組みの規律を受けるとの考え方を採ればよい(旭川学力テスト事件判決参照)が,自分たちの学派ではそのような前提はとらないこととされているという。このように見てくると,大澤たちの主張は非常に被侵害利益との関係でやわらかい枠組みを採っていることが分かる。すなわち,被侵害利益がプライバシー侵害にとどまる場合については,任意と呼ばれる領域の射程距離が拡大し,承諾がなくても任意の場合があるのに対して,被侵害利益が人身の利益に渡る場合は,承諾がなくても任意という領域の存在は許さず,したがって,承諾がない場合は,実質逮捕になり直ちに,違法になると解すべきとする。被侵害利益との関係で,規範が異なるということは珍しくないが刑訴法で意識することは少ないと思われる。このことは留意されてよいように思われる。

[8] 例えば,現行犯逮捕や緊急逮捕の要件がないのに,無令状で被疑者の身体の自由を奪い拘束状態にすることは,当該事案の具体的状況でいかに高度の必要性・緊急性が認められても,相当・適法な強制処分と評価することはあり得ない。

[9] 法教284号67頁は,「覚せい剤自己使用の罪が被疑事実とされた事案において,これを,生命身体に対する刑法犯と対比して,どのように位置付けるべきかは,なお検討を要する」とするが,刑法犯と比較して高い必要性は認められないという評価を示唆するように思われる。

[10] なお,相当性の判断はそれ自体が独立してなされる可能性もある。すなわち,用いられた手段・態様が社会通念上相当と評価できるかという枠組みである。しかしながら,法教284号67頁は,「判断仮定をできる限り客観的に顕在化することが望ましい」としている。そして,「ある捜査手段・方法により侵害された法益をできる限り具体的に抽出することにより,これを当該手段を実施する必要性・緊急性の程度との比較衡量に帰着」させるべきとしている。この見解は,相当性の中身を詰めて考えようとする見解といえよう。

[11] 法教284号66頁は,個別具体的事案における「当該手段の必要性・緊急性が乏しければ,同程度の有形力行使が具体的状況のもとで相当と認められない」こともあると指摘している。

[12] これに対して,寺崎56は,法197条1項の文言にそぐわないし,相当でない任意処分という類型を設けると,令状なしに処分できる範囲が不当に拡大するので,相当でない任意捜査の多くは,強制処分と見るべきと批判している。『弁護人の刑事訴訟法』の視点からは判例の3分法を黙殺して,2分法に依拠する者が多いと思われるので注意が必要である。

laquo;

関連コラム